〜 その11 〜 |
遠くの夜景を見て石川は顔をほころばせた。 意外にあっさりとことが運んだので嬉しさが隠し切れないのだ。 保田にダイブをしたとき、確かにちょっと頭を打ったが、完全に気を失うほどではなかった。 けど、後藤が慌ててみんなを呼びにいって吉澤に抱き上げられたとき、とっさにこの計画を思いついた。 後藤の勘がもうちょっと鋭いか、それとも保田の方が目を覚ましていたら(それはそれでまた面倒なことになっていたと思うけど)、ここまでうまくはいかなかっただろう。 と、背後で寝返りをうつ音がする。 「・・・う、ん・・・ここは?」 「保田さん。目が覚めましたか?」 石川はしおらしく保田の隣にまで走ると、打ちつけただろう頭に触れた。 コブでもできたのか、保田は顔をしかめる。 「な、何があったの? 一体」 「覚えてないんですか? 保田さん、一緒にサウナに行って、そこでのぼせちゃったんですよ」 そうだっけ。と、保田は考え込む。 サウナに行ったところまでは覚えてるんだけど・・・。 まるで警戒心のなさそうなところをみると、今ここにいるのはごくノーマルな保田らしい。 それはそれで別に嫌いってわけじゃないんですよ。保田さん。 けど、石川が好きなのは、もうちょっと違う保田さんなんですよ。 石川はあらかじめ近くに忍ばせておいた木槌を握り締めた。 「それで・・・石川があたしをここに?」 「そうなんです。お家までお送りしたかったんですけど、保田さん、あんまり具合が悪そうだったもので」 「そっか。迷惑かけちゃったね」 保田はいつものように笑った。 一瞬、石川は握ったハンマーを躊躇してしまいそうになる。 「それで、みんなは?」 「あ、帰りました。はい」 「後藤は?」 「え・・・。ごっちん、ですか?」 保田はあたたー、と頭を押さえながら自分のカバンを探した。 携帯を出そうとしてるらしい。 「何するんですか? あの・・・」 「いや、一応メール入れておこうかなって」 「ごっちんに、ですか?」 「うん。ほら、心配してるといけないし」 保田はにっこりと機嫌よく携帯の画面に向かった。 薄暗い部屋の中で、うつむいて。 石川はそんな姿を見るのが切なくなって・・・。 「保田さん! ごめんなさい!」 「え? 何、どうしたの、石川」 「私、こんなのいけないってわかってるんですよ! わかってるんですけど」 「へ?」 石川の動きを予想することなんて、ただの保田にはまったく不可能なことだ。 石川は振りかぶったハンマーで斜めに振り下げるようにして保田を攻撃した。 クリーンヒット!! 携帯が開きかけた画面のまま床に落ちる。 ぜいぜい、と石川は興奮気味に肩を上下させる。 「保田さん! 大丈夫ですか! しっかりしてください」 「ん・・・」 ぐったりとした保田を石川は抱き上げる。 一応用心のために手元にハンマーをおいたまま。 数分して保田は薄く目を開いた。 「石川・・・?」 「はい!」 石川が慎重に成り行きを見守る中、ゆっくりと保田は体を起こして首を振った。 それから髪をかきあげるようにして石川を横目で見る。 「随分と大胆じゃない? ええ」 「え・・・そ、それはつまり・・・」 「素直に誘えば、こっちだっていくらか素直に応じないこともないんだよ」 「や、保田さ・・・」 「ま、したいことは一緒なんだし、それならそれでいいよ」 保田が指先を伸ばして石川の頬にかかった髪の毛を巻いた。 にやり、と笑って自分の唇に。 「おいで。相手してあげる」 「保田さん!?」 石川が体を引こうとしたのを素早く察知した保田が思いっきり飛び掛って両腕をつかんだ。 なおも逃げようとするところに馬乗りになって、がっちりと自由を奪う。 両腕を頭の上でつかんで、顎を石川の頬のあたりにすり寄せた。 びくっと、石川が艶っぽく体をよじらせた。 「どうしたの? 保田圭なら、誰でもいいんじゃないの?」 「そんな・・・だって、あなたは保田さんじゃない・・・」 「ま、あんたの好きな『保田圭』じゃないかもね」 石川の上に乗った保田がおもしろそうに唇で顎を撫でる。 石川はなんとか抵抗しようとしてみるけど、慣れてるのかなんなのか、決められた腕はぴくりともしてくれない。 肘だけがむなしく何度か空に弧を描く。 「あなたは・・・だって、さっきごっちんのこと好きって・・・」 「ああ、後藤ね。好きだよ」 「そんなさらっと」 「でも、あんたもあたしが好きなんでしょ?」 好きは好きかもしれないけど。 石川は言われてちょっと迷う。 いや。違う。今ここでこうしてるのは自分の好きな人じゃない。 唇を奪おうとする保田から大げさに顔をそむけた。 「ふぅん・・・イヤなんだ」 「・・・」 「別にいいけどさ。それなら」 保田は意外とあっさりと石川の戒めを解いた。 石川は荒い息で手元にまだあるハンマーを手にする。 構えられて保田は特に動じたふうでもなく、平坦な視線で石川を見た。 「いいよ。別に。あたしを引っ込めたいなら」 「え?」 「けど、せっかくあたしも出てきたんだしさ。ちょうどいいから一つ教えておいてあげるよ」 にやり、と保田が斜めに石川を見る。 どこまでも怪しい、悪ぶった瞳。黒い双眸。 「あんたの好きな『保田圭』も、そんなにいいやつじゃないかもね」 「は・・・?」 「もし、本当に『保田圭』のことが好きならさ・・・」 と、そこまで言ったところで急に床からけたたましいばかりの音がした。 本当はそれほどではないのかもしれないけど、静かな夜の部屋の中では、そのデジタル音は必要以上に場違いに聞こえる。 保田は小さく舌打ちすると、床に転がったそれを拾い上げた。 「あ? もしもーし」 「圭ちゃん?! 圭ちゃんなの?!」 保田は思わず肩をすくめた。 ほかでもない、あの子の声だってこと、よくわかるから。 まったく、毎度毎度いいところで。 「平気? 大丈夫? 梨華ちゃんになんかされてない?」 「はぃ? 何のこと? どうしちゃったの? 後藤」 やや口調を変えてそう返事して、石川にこっそり微笑んだ。 その言い方はまるで・・・。 「あ! 『普通の圭ちゃん』?! そうなんだね。今、どこ?」 「だからー。なんだっての? あたしは今ホテルにいるよ」 「ホテルぅ?! ちょっと。それ、どういうこと?!」 「落ち着きなって。後藤。あのね、あたしは石川に送ってもらってここにいるの。石川は、もう帰ったよ。とっくに。それが何?」 保田はちょっと通話口を押さえて、ちらっと石川を見た。 引き寄せられるように石川がその近くに顔を寄せる。 「まずいね」 「まずい? どうしてですか?」 「あたし、後藤のところに行きたいんだ」 かなり真剣な響きもする。 石川の顔をまっすぐ見る目にも。 「あとは・・・まあ、好きにするんだね」 「それは・・・」 「あ、後藤?」 それから後藤と話を続ける保田の背中に回って石川はハンマーを握り締めた。 判断をまかせられたのはわかる。でも、だからって・・・。 「うん。じゃ心配しないで。・・・わかってるって。そんじゃ、あさってにも。うん」 電話が終わる。 保田はゆっくりともったいつけるように通話のボタンを切った。 その直後をみはからって。 「保田さん!」 石川は横殴りにまたハンマーを振り回す。 いい音がして、保田は横に倒れた。 あまりのことに石川はベッドから飛び降りてその肩を引き寄せた。 すぐに気を戻して、保田はしかめっつらを向ける。 「だいじょうぶ・・・ですか?」 やや警戒しながらも石川が近くで様子を窺う。 つつくようにすると、そこで保田ははっきりと目を開いた。 「石川・・・」 「もしかして!」 保田は自分の肩のあたりにある手に自分のものを重ねてにっこりと微笑む。 「ごめんね。遅くなっちゃったね」 「いえ、そんなこと! そんなこといいんです!」 保田は腕を伸ばして石川の頭を抱いた。 吐き出した息が色っぽく石川の耳のあたりをくすぐる。 「やっぱ、石川はいいよ」 「え・・・っと、それはどういう・・・」 「いい匂いがする」 保田は髪から頬に顔を滑らせて、そこで一度キスをした。 いかにもいとおしいものを前にしたかのような、慎重なしぐさで石川の上着の裾に手をかける。 「やっと、だね」 「やっと・・・ですか」 「うん。ずっとさ、ずっと。石川とこうして二人になれるの待ってたんだよ」 どこまでも優しく、保田は石川の鼻にキスをして、それから唇を向かい合わせた。 逆らう術が、どこにあるっていうんだろうか。 さっきの保田さんが何者なのかは知らないけど。 「石川。好きだよ・・・」 ぐっと頭を後ろに引かれて、そこで唇を押し付けられた。 ベッドの側面に体を押し付けられて。 「今日は、私のものになってくれるんだよね」 強引すぎるくらいにも感じるその言葉に、石川はゆっくり頷いた。 自分の待っていた保田さん。自分の好きな保田さんに。 聞いたはずの忠告なんて、巧みに剥かれる自分の服の前にはまるで風の前のロウソクの火みたいなもんでしかなかった。 ゆっくりとなぞり上げられるたびに理性のタガが緩んでいくのを感じる。 気になること。 もし、それがあるとすれば。 「保田さん」 「うん? どうかした?」 「保田さんは、ごっちんのこと。好きなんですか?」 保田はやれやれ、というふうに首を振った。 「ちがうよ。あたしが好きなのは石川だけ。安心して」 そんなこと聞かないで、と目の前の保田さんは言った。 だから、石川は聞かないで目を閉じた。 その閉じた瞼の後ろで保田がどんな表情をしているかもわからずに。 * 「なんだよ。全く。心配して損したよ」 電話を切ってすぐに後藤はむっとしてしまった。 けれどちょっと安心したってのも本当。 普通の圭ちゃんになったんなら別に心配することもないなーって。 後藤は行きかけた都心への駅を抜けて、自分の家へのホームに立った。 色々と忙しい一日だったなぁーって。 待つ間、一度ポケットにしまった携帯をもう一度取り出す。 首からかけてみる。もう一度鳴り出した時のために。 けど、すぐにそれにも物足りなくなる。 「(どうせ、普通の圭ちゃんなんだし・・・)」 後藤は、終電にはまだ間のある電車を一本見送って、ホームでメールを打ち出した。 なんだかんだ言って、後藤が一番こうして安心してられるのって・・・。 送って、次の列車が来る。 後藤は、ほんの少しだけ幸せな気分でそれに乗り込もうとした。 直前。メールが届く。 期待してそれを開いた。乗り込んだ列車の扉が閉じるころ。 |
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