BODYTALK
〜 その3 〜




 結局あきらめてスタジオの建物の中をとぼとぼ歩いた。
 ロビーにも、トイレにもいない。
 さっきダッシュしてったのは確か入り口とは逆だし。
 荷物もあるからきっと外へは出てないはず。
 後藤はちらちらと他の音の鳴る部屋を覗いたりもしたけど、人気のあるとこ ろにはいないような気がした。
 とすると、あとはー。
 後藤は非常階段の扉を開いた。
 やっぱりね、とでも言うべきなんだろうか。
 上の踊り場の一段目のところに、座ってる人影が見えた。
 後藤はおそるおそるそこに近づいてみた。
 登りきる前から、その服も、髪型も圭ちゃんのものらしいってことはわかっ ていた。
「けーいちゃん・・・?」
 後藤が踊り場にたどり着くと、膝を抱えてうずくまった保田の対峙した。
 声をかけたのに顔を上げようともしない。
 まいったなー、と思うんだけど、このまま捨てていくわけにもいかないし。
「圭ちゃん? 大丈夫? 気にすることないよ」
 とりあえず慰めようとしてみた。
「ねえ。いつもの圭ちゃんならもっと強気じゃない。しっかりしようよ」
 頭を下げたままで、保田は首を横に振った。
 後藤は、隣にひざまづく。

「あたしって、ダメだよね・・・」
「はっ! ちょ、ちょっと待ってよ。なんでそうなるの?」
 うつむいたままの保田がぽつぽつと言い出した。
 出てくる言葉は残らずネガティブ発言ばかり。
 しかも、言えば言うほどどんどん暗くなっていく。
「これじゃ、いつ辞めろって言われてもおかしくないし。でも、辞めたって ほかにとりえがあるわけじゃないし・・・」
「圭ちゃん! 冷静に冷静に! そんなことないよ! 今日はちょっと調子 が悪かったってだけでしょ? それに、圭ちゃんはモーニング娘。には必要 な人なんだから。ほら、もっと自信もって!」
 必死になだめる後藤。
 保田は取り出したタオルハンカチで目元を拭った。
 きらーん、と涙が光って落ちる。
「泣かないで、ね? ほら、今度つんく♂さんにいじめられたら後藤が助け てあげるからさ。戻ろう?」
「・・・本当?」
「うん。約束する」
「ごとうっ!」
 保田ががばっと後藤に抱きついた。
 勢いに少しよろけそうになってしまった。

「ありがとう! 後藤はやっぱりあたしの味方なんだね」
「う、うん・・・まあ、そう・・・」
「後藤のこと、大好きだよ!」
「そうなんだ・・・あ、あはははは」
 ぎゅうっ、と無邪気に腕を締めた。
 後藤は、抱き返したもんかと迷うけど、どうしていいかわからない。
 そのとき、保田がくっつけていた身体をぱっと放した。
「わかった! 後藤がいるんなら、あたし、もうちょっと頑張ってみる」
「よかったねー。うん。よかった」
 笑顔で言うと同時に、唇を重ねられた。
 むぐっ! とか一瞬言いそうになる勢いでもあった。
 ちゅぅ〜っ、と押しつけるみたいなキスだった。
 例えるとすれば、キスのしかたもわからない子供が、とにかく気持ちを示 したいって感じの。
「じゃ、行こう!」
「うん、うん」
 保田が後藤の手を引いて非常階段をカンカンと降りた。
 足どりも軽い。
 後藤は、結局もう一度奪われる羽目になってしまったキスにも頭をこんが らがらせる。
 わけわかんない。

 スタジオまでの道半ばになって、急に保田が立ち止まった。
「あっ! しまった!」
「どうしたの?」
「さっき、階段のところにハンカチ忘れてきちゃった」
 そういえば、さっき涙を拭ってすぐに落として、そのままだったよーな。
「すぐ戻るからさ、後藤は先に行ってて」
「え? 本当? すぐ戻ってくる?」
「うん。あそこにおとしたのは間違いないからさ」
 保田は握っていた手をもう一度ぐっと握ると、ぱたぱた来た方向にとって 返した。
 後藤は、ま、いっか、と言われた通りに先に戻る。
 みんなが一斉にそれを見た。
「後藤、圭ちゃんは?」
「え、え・・・っと。さっきまで一緒だったんだけど、ちょっと落し物しち ゃって」
 本当に戻ってくるの? と疑り深そうな目を向けられたけど、後藤は「大丈 夫」と、自信ありげにうなずいた。
 多分・・・ね。
 けどそれから保田が戻って来たのは、必要以上に時間をくったあとで、しか も全然急ごうともしないゆったりとした歩みで、だった。

 とろとろとドアを開いて、みんなに挨拶した。
 もう落ち込んだ様子はない。
「圭ちゃーん。急に飛び出すからびっくりしちゃったよ」
「もう大丈夫?」
 保田は親指を立ててOKサインをつくった。
「急に飛び出したくなることだってあるっしょ? なんでもないよ」
 そんなことはそうそうないとは思うけどね。
 後藤はとりあえず自分の役目を放棄した疑惑が晴れてほっとした。
 つんく♂さんがまってました、という感じで保田を呼ぶ。
「じゃ、保田続きいこか」
「わーったよ」
 ?
 その返事をおかしいと思ったのは後藤だけじゃないはず。
 さっき中断したところをもう一度伴奏が追った。圭ちゃんが歌い出す。
「ん? さっきとまた歌い方が違うな」
 つんく♂さんが止めた。
 確かに、さっきまでの注文の「強く」っていうのはいいんだけど。
 なんつーか、ちょっと荒いっていうか、オトコマエっていうか・・・。
 だけど圭ちゃんらしくないな、と思うのは。

「保田。ちょっと雑やで」
 そうだ。
 要するに、下手なんだ。
 丁寧に歌ってる感じがしない。
 保田は不機嫌そうに眉をしかめた。
 ものすごく反抗的な目つき。
「どうした? 音が外れてるやないか。リズムもばらばらやし」
「うっせぇなぁ」
「!!!」
 みんなぎょっと身体を乗りだした。
 ちょ、ちょっと何言ってるの?! 圭ちゃん!
「あたしが何をどう歌おうと、あたしの勝手だろ? 余計なこと言うんじゃ ねえよ」
「や、保田! どうしたんやー」
「今日は気分がのらねえんだ。帰らせてもらうかんな」
「ま、待ってくれ。おい! 保田!」
 スタッフが止めるのもかまわず、圭ちゃんはふふん、と鼻で笑って荷物を 抱えて出ていってしまった。
 どうなってんの?

 結局、その日の仕事はめちゃくちゃになってしまった。
 みんなも嫌な気分になってしまったのか、全然歌にならない。
 つんく♂さんもあきらめて、いつもよりも早くおひらきになってしまう。
 控え室で、そのことに触れるべきかどうか迷う。
「あれ・・・どうしちゃったのかな」
「なんか変だったよね」
「つんく♂さんにあんな口きいちゃってさ。おかしいって」
 いつもは礼儀をみんな以上に守る圭ちゃんなだけに、その動揺は大きい。
 じろっと、後藤を向いた。
「さっき、連れ戻したときに、なんかあったんじゃない?」
「な、ないよ! 後藤が行ったときにはすっごく落ち込んだ感じでさ。そ れで慰めはしたけど、それだけ」
 キスとかは、関係ないよね? 今。
「帰っちゃったし」
「誰か、行った方がいいんじゃない?」
「でも、ちょっと怖いなー」
 そこで、また後藤を見る。
「後藤。電話かけてみたら?」
「は? なんで後藤が?!」

 ほとんど「猫の首に鈴」なんだけど。
 ただ違うのは、みんながみんなその係を後藤と信じて疑わないこと。
「だって、後藤。ねえ?」
「うん。仲いいし」
「後藤だったら圭ちゃん怒らないんじゃない?」
 そんなぁーーーっ。
 とにかく、だけど大変なことになる前になんかした方がいいと思うし。
 せめてつんく♂さんに謝るようにってことだけでも言わないと。
「ほら! 電話電話」
 やぐっつぁんに言われて電話をかけてみる。
 コールが2度。3度。
「出ないよ?」
「直接行ってみたら?」
「えぇーっ。留守だったらどうすんのさ」
「じゃあ、行く途中にもう一度電話」
 無責任な・・・。
「ごっちん・・・不安だったら私も行こうか?」
 梨華ちゃんが言ってくれたけど、後藤はへっ、と少し考える。
「うーん。でも、いいよ。こうなったら、後藤一人で行く」
「そう?」
 いいんだけどさ。
 なんか最近圭ちゃん変だし。
 梨華ちゃんには刺激が強すぎない?

 行く途中で、もう一度電話をかけてみた。
 出なくても、一応行くだけ行って置手紙でもしようかな。
「・・・はい」
「あ。圭ちゃん? 後藤だよ」
「ああ。何? どうかした?」
 どきどき。
 まだ機嫌悪いかな。
「ちょっとさ・・・ほら、今日途中で帰っちゃったじゃん? それで、気 分でも悪いのかなーとか思って」
「気分? えっ? あははは、なーに言ってんの? そんなわけないじゃ んか」
「でも・・・ほら、変な帰り方とかしたし」
「そうだっけ?」
 機嫌は、悪くなさそう。
 て、いうかどちらかというとハイテンション気味。
 酔ってるのかな?
「つんく♂さんもさ・・・ほら、いろいろと・・・」
「なんだよ。歯切れ悪いな。なんかあったの?」
「なんかもなにも・・・」
 後藤は混乱した。
 また忘れちゃったの?

 話していても埒があかない。
 電車がもうすぐ駅に到着するとき、ツツ、と会話が途切れかけた。
 ああっ。もうめんどくさい。
「あのさ、今圭ちゃんの家に向かってるんだ」
「ふぅん。・・・って、これから来るの?」
「ダメ?」
「ダメじゃないけど。うん。じゃいいよ。今どこ・・・・」
 ザザ、と音がして通話が切れた。
 同時に、電車がホームに着く。
 まあ、一応行くってことは伝わったみたいだし。
 後藤はとりあえず当初の目的を果たそうと電車を下りた。
 なんなんだろ。
 でも、圭ちゃん今日は特に変だから、話をするなら顔を見た方がいいか もしれない。
 後藤はまっすぐに保田の部屋に向かった。
 なんでこの場所を知ってるかっていうと、ああー、そうだった、と顔の 赤くなることを思い出したけど、関係ないよ、と自分に言い聞かせること にした。
 関係ない。関係ないよね。

 チャイムを鳴らすと、すぐに保田が出てきた。
 おっす、と挨拶をする保田はいつもと同じ笑顔。
 後藤はほっとして中に入る。
「でも、どうしたの? 急に」
「いやー、やっぱちょっと心配だったし。みんなも行った方がいいんじゃ ないかって」
「そんな大騒ぎになってるの?」
「なるよー。だってつんく♂さんにあんな口きいてさ」
「あんな? 何言ったの。あたし」
 ちょっとー。
 冗談ならやめてよね。
 他人のしたことじゃあるまいし・・・。

 ・・・他人?

 後藤は、そのとき一つの仮説が頭に持ち上がって一瞬ぎくっとした。
 今朝元気だった圭ちゃん。
 トイレから出て急に弱虫になった圭ちゃん。
 つんく♂さんに突然キレた圭ちゃん。
 ほとんど、それって違う人みたいじゃないか!
 同じ人なのに違う性格って・・・これは。

「圭ちゃん!」
「はい? なんですか? 後藤さん」
「圭ちゃんて、もしかして、『多重人格』ってやつじゃない?」
「たじゅう・・・? 何?」
「だから、圭ちゃんの中に、いっぱい圭ちゃんがいるってこと」
「何言ってんの? 後藤、大丈夫?」
 それはこっちのセリフだよ!
 そういうのって、マンガとか小説とかでしかないもんだと思ってたけど。
「そうでしょ! ねえ、じゃあ昼間後藤とトイレで会ったときのこととか 覚えてる?」
「覚えて・・・って。うん」
「何があったか言える?」
「えーと・・・」
 保田は考えた。最初は笑いながらだったのに、「あれ?」とか言って顔 を歪めた。
 うむむ、と腕を組んで考えてる。
「何って・・・何も特別なことはなかったんじゃない?」
「あったよ! トイレでいきなり具合悪そうにして! なんか怖いもので もいるんじゃないかって、後藤の背中にひっついたじゃん!」
「そうだっけー。うっそー」
「ウソなんかじゃないもん!」

「ほら! 覚えてない! じゃあ、非常階段のところで泣いたのは? つん く♂さんに『うっせぇなー』とか言ったのは? そうでしょ。違う人になっ てるときのこと、忘れちゃうんだよ」
「ちょ・・・後藤、ちょっと待って」
「そうだそうだ! 圭ちゃん、だからおかしかったんだ!」
 後藤は詰め寄った。
 保田は慌てて頭を抱える。
 必死に言われたことを思い出そうとしてるみたいだ。
 後藤はつい興奮して更に突っ込む。
「ここでのことだって、覚えてないんでしょ」
「ここ?」
「そうだよ! この前の休みの日に、後藤をここに呼んでさ。それで・・・」
「?」
 少し口篭ったけど、けど言うことにした。
「後藤とヘンなことしたじゃん!」
「・・・」
 保田は急に頭痛がしたみたいに頭を抱えて身体を下げた。
「覚えてないんだ! 後藤が、それでどんなに悩んだかとか、全然知らない んだ!」
「ご・・・後藤」
 保田が、そこでぴたっと動きを止めた。

 変わった空気に気がつかないほど、後藤は鈍くはなかった。
 はっと、身体を後じさりさせる。
 頭を抱えていた保田が、ゆっくりと頭を上げた。
「そうだったよね。後藤・・・」
 圭ちゃん、と呼び直そうとしたところで、声が詰まった。
 声色が違う。
 歩き方のクセとか、そういうのも全部。
 というか、要するに雰囲気がさっきまでとは全然違う。
 だけど、その原因を作ってしまったことに、後藤は実際にそれを見るまで気がつけずにいた。
「忘れるわけ、ないじゃない」
「ちょ、ちょっと待ってよ。圭ちゃん! 圭ちゃん!」
「大丈夫だよ。あたしはきちんと覚えてる。後藤のこと」
 そういうことじゃなくてさ!
 後藤は、叫び出したい気持ちを持ちながら、そうできなかった。
 金縛りにあったみたいに棒立ちになって、どきどきと胸を高鳴らせる。
「待たせたね。悪かったよ」
「ま、待ってたわけじゃ・・・その・・・」
「わかってる。何も言わなくてもいいよ」
 保田の手が伸びた。
 ぐっと、後藤の肩を引き寄せる。


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