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22.Waiting
吉澤ひとみは待っていた。
地上からはるか離れたとあるホテルの上部の部屋で、下界に広がる景色を見ながら、たった一人で随分長い間同じ姿勢をして。
チェックインしてすぐに眼鏡を外してテーブルに置いているので、だけどその景色は輪郭をぼやけさせてはっきりとは見えない。 時折目を細めると、ほんの少しだけ街の灯りが鋭角を帯びる程度のもんだ。
視線を部屋に移すと、真っ暗闇の中に室内の一点だけ光る蛍光色があった。
電光掲示板式の時計が、もうすぐ11時を示すところだった。
*****
仕事が引けて、保田後藤と一緒に吉澤は最後の挨拶をしてスタジオを出た。ちょっと前までは後藤と二人保田に対して遠慮というか引け目もあったけど、最近になってようやくそのへんのわだかまりみたいなものが解けた感じがする。
後藤は以前からの付き合いもあってすっかり打ち解けた口をきくのだけど、自分はというとそういうわけにはまだいかない。
いつか、もうちょっと何かのきっかけで仲良くなれたらな、ってくらいは思ってはいたものの。
そんな時期のことである。
「あ、よっすぃ〜。またいるよん」
「え? 何が?」
「『何が?』じゃないよ。決まってるじゃん」
後藤が通路の先、控え室の前にいる人影を指差した。ちょうどその先の人もそれに気がついたのか、会釈するように頭を下げる。
とぼけるつもりもなかったのだけど、逆にそれを当たり前だと思うほどのことでもない。
なるべく3人一緒に焦らないようにと近寄ると、それは間違えようもないくらいに石川梨華。今日も相変わらずのちょっと暗い顔である。
「梨華ちゃーん。どうしたの? 今日は仕事休みじゃなかったっけ?」
「そうなんだけど・・・ちょっと」
「ん? よっすぃ〜? だよね?」
そこで石川の顔がちょっと赤くなった。吉澤はほんの少し「まいったな」と思いながらもそんな顔した石川の前に立ち止まる。後藤がからかうように声をかけて、その脇を保田が通った。
通り過ぎる瞬間に、ちらっと二人の顔を見る。
「石川」
「は、はいっ!」
「この間、喉の調子がよくないって言ってたじゃない。あれってどう? それから」
「いえ、その・・・。はい、平気です。すみませんでした、ご心配かけて」
「いや、あたしは別に何もしてないけど・・・」
それから二言三言、と二人は会話を交わした。横に吉澤がいてもいなくても関係ないってくらいにすごく事務的だし、いかにも仕事の上下関係って枠を出ない感じのもんだ。
実際それが終わるとそれ以上余計なことは何一つ余計なこともなく、「明日も早いんだからあんまり遅くならないようにね」との保田の一言で終わった。
石川吉澤の隣をすりぬけて、後藤と保田で控え室の扉を閉じる。
残されて、吉澤はまだその扉を見たままの石川に「ねぇ」と声をかけた。
「保田さんに、どうしたの? 喉とかなんとか」
「うん。この前調子が悪かった時に話する機会があって。その時色々とアドバイスしてもらったの。それだけ、なんだけどね・・・」
なぜかちょっと気になるような言葉の切り方。
だけど、そのことに吉澤が疑問を差し挟む前に石川は吉澤の顔を見上げて笑って言った。
「ね、今日ちょっと付き合ってもらえない? 聞いてもらいたい話があるんだ。・・・ダメ?」
「いや。別にいいけど」
「そう? ありがと、よっすぃ〜っ」
「?」
「え? いけなかった? 『よっすぃ〜』って」
「いや、それも別に」
それまでは二人になると「ひとみちゃん」て呼んでたはずなんだけど。みんなと同じ呼び方、いや、そっちの方が最近じゃメジャーなわけだから、いいのかな?
それまで、というのはこんなふうに石川が自分の時間を割いてまで会いに来るということとも同じ意味を持っている。つまり、何をするわけではなく、こうして二人で会って、主に仕事の上での悩みとか対策とか、そういうものを(もっぱら石川が一方的に)話していたということ。
それまでと同じようにそしてその日も一緒に仕事場を出て一緒に食事にでかける。
だけど、その日を境に何かが終わって何かが変わる波みたいなものがあったのかな、と少しあとになってから吉澤は思った。
*****
それからも相変わらず忙しい日が続いた。それは、自分たちだけじゃなくって他のメンバー全員にも言えることだったから、別にそれには気がつかなかった。
それ、に気づいたのは、後数日たったあと、偶然に二人きりになったときだ。保田さんと。
休憩時間が重なって、それがたまたまお昼時で、時間的にも余裕があったりもした。
最初は当り障りのない世間話をしていたのだけど、お弁当も終わってまだ時間が余っているのがわかったとき、急に保田が言いにくそうに口許をゆがめた。
「・・・あのさ、こういうのって本当は聞くべきかどうかって迷うんだけど」
「はい? なんですか?」
「吉澤さ、最近石川とケンカとかしたんじゃない?」
へ? と思わず吉澤は目を丸くした。だって、そんなことを言われる身に覚えは何一つなかったし。そうでなくても自分と石川の友達付き合いによりにもよって保田が口を出してくるなんて、まるで想像もできないことだったからだ。
とにかく、と吉澤は「何言ってるんですかぁ〜」と笑った。
だけど、言われてみたらあの日以来石川が自分のことを待って休みを割くってこともなくなったかもしれない。保田はそんな内心の動揺には気づかないのか、「そう?」と首をかしげた。
「けど、どうして保田さん、急にそんなことを言い出したんですか? もしかして、何かそういう噂でも流れてるとか?」
「いやぁ、噂ってものでもないけど・・・」
そこでまた保田は苦虫を噛んだかのような表情になった。そこで話を止めようと思えば止めることもできたかもしれないけど、吉澤にはどうしてそんなことを言い出したのか、ってことが気になった。
だから、本当は話したくなさそうでもあった保田にちょっと強めに問いだ出す。
「・・・石川が、さ」
「梨華ちゃんが? 梨華ちゃんが何か保田さんに言ったんですか?」
「いや、何も悪いことはしてないんだよ。あたしだって嫌じゃないし。最近さ、ちょっと」
「ちょっと、何です?」
「電話してくるんだ。わりとたわいもない内容なんだけどね。いや、電話だけじゃなくって、時々ふっと目が合うことが多くなったっていうか・・・自意識過剰かもしんないよ? もちろん。でも、なんとなくなんだけど、こう・・・」
保田は慎重に言葉を選んでいるようだった。
それから、重たそうに結んでいた口許を解いてこう言った。
「・・・何か、言いたくて言い出せないことでもあるみたいな。そんなふうにも思えて」
「?」
「吉澤、何か聞いてない? そうじゃなかったら、何かこう抱え込んでるってふうに感じたりとか」
もちろん、そんなこと知らない。そんな変化があったかもしれないなんてことも、保田に言われるまでまるで気がつきもしなかったくらいだ。
吉澤が黙って首を横に振ると、保田は真剣に悩んでいるようでうつむいて膝の間に手を組んだ。
「気になるんだよね。ほら、あの子って割と悪い方悪い方に考えるクセがあるじゃない?」
「そうですね。よく愚痴っぽいこと聞かされてます。あ、最近はちょっとよくなったみたいにも思ってたんですけど」
「そう? うん、あたしの勘違いだといいけどね。だから、吉澤さ。もしよかったら近いうちにでも意石川と話でもしてあげてよ」
「私ですか? どうして?」
「だって、石川はきっと今メンバーの中じゃ吉澤のことを一番信頼してるっしょ? あたしとかじゃきっと遠慮しちゃうだろうし。お願い」
いいですよ、とあまり深く考えないでそれにOKをした。
保田の頼み方もあんまりにも真剣で、先輩だからってことを抜きにしても断りにくかった。
けどそこで聞き出すことになった答えは、意外すぎて自分じゃなきゃよかったのに、ってものだった。
*****
チェックインしてから、ずっとここに座ってぐるぐるとそのことを考えていた。
自分でも理由はよくわからなかったけど、その話を聞いたときから、いつもと違う、一人になれる場所が必要だと思った。
気がつくともう辺りは暗くなっていたし、時間もものすごくあっという間に過ぎてしまっていた。
しばらくじっと動かないでテーブルとベッドの上を行き来して、それから思い切って電話を取り上げた。
まだ仕事中だったのか直接は話はできなかったけど、携帯に伝言だけを残した。それからまたじっとそこで座り続けた。
そろそろ終わるころかな、と思って吉澤は立ち上がるとフロントに内線をかける。伝言はありませんか、と聞くとしばらく間を置いて、ありません、と返事。
五分五分だな、と思った。伝言を残してから約二時間。自分の携帯にももちろん連絡はない。
「(もしかしたら、電波の障害で届いてなかったりしてね)」
そうじゃなかったら、仕事が何らかのトラブルで予定通りには終わらなかった。もしくは携帯が故障したとか、水に落としたとか。はたまた移動中の交通機関で事故とか、最悪の場合は本人の安全に何かがあったとか。
何でもいいと思った。
何でもいいから自分がしたことを邪魔してくれるものがあったらいいな、とも思った。
もし、来なかったとしたら、きっと何も起こらない。何もなかったことになって、そのまま小波程度の波紋として、きっとこの先の時間は過ぎるんだろうな、と思う。少なくとも、自分は。
けど、もし来たら。何も邪魔するものがなく、この扉が開いたら。
「(どんな顔をするのかな。私がもしこんなことを言い出したら)」
それを考えたらまたそれも楽しみな気がした。
吉澤は椅子から立ち上がると、二つあるベッドの一つに仰向けに飛び込むように寝転んだ。天井を見上げて、頭の後ろで手を組んで、目を閉じる。
何度も、時間をかけてシミュレートしてきた台詞を繰り返す。
そらでそれを最後まで言ったところで、ふと自分に打ち明け話をした石川のことを思い出す。
「・・・ごめんね、梨華ちゃん」
コツコツ、と音がした。
空耳かと思ってしばらく静かにしていると、もう一度繰り返す。
吉澤は目を開いた。
「あの、もしもし? 吉澤?」
扉の外からそんな声が聞こえて、吉澤は立ち上がった。自分の、「どうしても話しておきたいことがあるんです」という思わせぶりな伝言にバカ正直に尋ねてきたその人のことを思うと、口許が笑った。
一度レンズでそう言ったその人の顔を確認して、扉を開く。
びっくりしたような、または不安そうな顔をしてその人はそこに立っていた。
「どうぞ、保田さん。待ってました」
「吉澤? あんた、何かあったの? 急にだって・・・」
「なかったら、保田さんをこんなふうに呼び出したりなんてしませんよ」
保田を中に入れて扉を閉じた。
真っ暗なままの部屋に少々戸惑っているらしい保田の背中に手を添える。
「保田さんが、悪いんですからね」
「ん?」
「保田さんが、私に言い出さなかったら、きっと私も気がつかなかったんです。自分で、自分に」
もう、引き返せないな、と吉澤は思った。
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