28.弟子入り志願




 目の前で平然とお茶をすすっている吉澤を前に、保田は目で訴えていた。
 もし、そこにいるのが吉澤ではなく、他のメンバー―――おそらく現存する人全員―――であったならば、その視線に先に負けてしまったことだろう。
 だけど、今保田の目の前にいるのは、他ではなく、吉澤その人なのだ。

「で?」
「『で?』って、何が?」
「『「で?」って、何が?』じゃないでしょ?」
「『「『で?』って、何が?」じゃないでしょ?』って言われても・・・」

 やめた。きりがないし、こんな単純な嫌がらせにひっかかってたらそもそものことから煙に巻かれてしまいかねない。
 保田は気持ちをぐっとおさえて努めて冷静に吉澤に言葉を選んだ。

「別に、あたしは怒っているわけじゃないの。ただ、突然こんなふうに人の家に押しかけて、わけのわからない理由を言い出してだね、おまけにそんなふうに人の家でくつろぐっていうのはだね・・・」

 と、保田は吉澤の足元を指差す。そこには数日分は泊まることもできそうなくらいの大きな荷物がある。
 そこで保田はいったん息を吸い込んで、冷静に、冷静に、と呪文みたく唱えた。吉澤はお茶の入ったコップをくるくると手持ち無沙汰に回しているところ。

「吉澤さん。ちょーっと大人のすることとしては常識のレールからは外れているような気がしませんか?」
「『人のやらないことをやれ』が、吉澤家の教訓です」
「んなこた聞いてないっての。だいたい、それは意味が全然違うじゃないの。あたしが聞きたいのは、あんたがいきなりこうして出てきた本当の理由なの。何? お父さんとでも大喧嘩したの?」
「してません、ての。だから、さっきも言った通り吉澤がここにこうして来たのは」
「・・・『弟子入り』なんて言い分が通るとでも思ってるの? だいたいあたしの弟子になってどうするつもりなの。おちょくってるんでしょ」
「ちーがいますよ。疑り深いなぁ」
「じゃ何? 何をあたしから学ぶっていうの? 自慢じゃないけどあたしは料理は苦手だし、教えるほど頭もよくないし、特技も少ないし、ジョークもおもしろくないんだからね」
「あっはっはっ。本当に自慢になってないや」
「きーっ。ムカツクーっ。あんたに言われたくなーいっ!」
「自分で言ったんじゃないですか」

 とにもかくにも。
 吉澤が突然こうして押しかけて言い出したのは「弟子入り志願」だった。保田としては(保田でなくても)到底納得できるはずもなく、どうにかして真意を聞き出そうとするものの、どうものらりくらりとしていてうまくいかない。
 仕方がないので、保田は自分の中で一つ結論を勝手につくることにした。それは。

「もうどうでもいいからさ。あたしは明日仕事あるんだし、先にお風呂入るよ」
「どうぞ。ここは保田さんの家だし、吉澤は今日から保田さんの弟子です」
「はいはい。じゃ、あがるまで適当に時間でもつぶしてて」

 ・・・ただの気まぐれなんだろう、ってこと。
 そもそも、こいつの思いつくことを全部予測しようという努力の方が無駄な労力というもの。保田はそう思って勝手に入浴をすることにした。
 いつまでかは知らないけど、何日か居座って、それで飽きたらどこかに行くつもりだろう。あがったらとりあえずは親に連絡させよう、というところまで考えてゆったりと湯船につかっていた。
 が。

「保田さぁ〜ん。入りますよぉ〜っ」
「は、はぃぃぃぃっ!」
「だから、入りますって。て、もう入ってるんですけどね」

 がらっ、と声をかけたのは「確認」ではなく「通告」として吉澤が入浴中の湯船に入り込んできた。タンクトップにジャージの足を捲り上げている格好で、保田は思わず湯船の中で体を小さく折りたたんだ。
 きょろきょろ、と浴槽とバスルーム全体を見回して吉澤が保田を見下ろした。

「何のつもりだよ! これは」
「だって、吉澤は保田さんの弟子だし。背中くらいは流した方がいいかなーって」
「いい。余計なお世話。出てって、出てけって」
「えー。せっかく着替えたのに? ちょっとくらいはいいじゃないですか」

 湯船の縁に手をかけて吉澤が身動きのとれない保田の顔を覗き込んだ。保田は上がれない湯気にあぶられて顔を上気させてしまう。何度も「帰れ、出てけ」というものの、吉澤はなかなか引き下がらない。けれど、確かにさっきと服装が変わっているし、本気で自分の背中を流しに来てくれたのかもしれない。泊めてもらうための、ささやかなお礼のつもりなんだろうか?
 保田はこの場をおさめるためには、自分が懐柔されるしかないのか、と思いつき、あきらめた。

「変なこと、するなよ? 背中流すだけ、なんだよね」
「なんですか? 『変なこと』って」
「・・・いや、別に」

 ニコニコして保田の上がってくるのを待っている吉澤の笑顔があまりにも屈託ないので、保田は楽天的に考えることにした。
 やや照れながらも湯船からあがって、広めの作りの洗い場に裸足を置いて椅子に腰掛ける。吉澤は洗面器を取り上げてお湯を注ぐと、持参したらしいスポンジに泡たてを始める。ちらりと横を見るとそれなりに真面目に取り組んでいるようなのを見つつ、保田は吉澤に背中を預けた。
 やがて「できた」という声と一緒に背中に生温かい泡の感触がする。

「これ、専門のブランド・バス・ショップで買ってきたんです。気持ちいいでしょう?」
「うん。あんまりない香りだね。吉澤はよく使うの?」
「ええと。最近買ってきたばっかりで・・・。中々使う機会がなかったんで、ちょうどいいかなって」
「?」
「いえ、何でもありません」

 普段自分が使うお風呂用品もそんなに安物を使っているつもりではなかったけれども、それにしても今洗ってもらっているこれは違う。
 何せ泡の感触がきめ細かくて、肌触りが柔らかい。肌になじむような感じがするし、香りだって単純な花とかっていうよりもっと甘酸っぱい感じというか。何て表現したらいいんだろう、としばらく保田は背中を流されながら考えていた。

「一度流しますね」
「うん」

 ざっ、とややぬるめのお湯を背中にかけられたとき、ぱっと頭にそれをあらわす言葉を発見した。と、いうもの泡が流れる瞬間の肌の感じだ。ぬめるかのように、もったいつけてて、それが、つまり。
 「艶かしい」とでも言うのか。

「よかったでしょう? そんでね、次もあるんですよ」
「次? 背中を流すだけなのに?」
「どうせなら本格的にしましょう。今のが一段階で、ステップは3まであります」
「ふんふん。次は何をするの?」
「ちょっと冷たいかもしれないですけど。失礼」

 吉澤が何かさっきとは別の容器から手に液体を落として、それを背中に塗りつけてきた。言ったとおり少し冷たい感じがする。肩甲骨の辺りに多めに落として、それを吉澤が両手を使って広げていくという作業である。
 最初ひんやりしていた液体が伸ばされて、だんだんと人肌に温まってくる。
 保田は背中を向けたまま膝に両肘をついて、顔をささえた姿勢で気持ちよさに目を閉じた。

「吉澤、なかなかうまいんだね。こういうこと。慣れてるんじゃない?」
「そんなことないですよ。これ使ったのって保田さんが初めてだし」
「じゃ、最初からそういう素質があるのかな。なんかいい感じかも」

 十分に液体がなじんだのか、今度は吉澤の手が触れるたびにその部分が熱く感じるくらいになった。すみません、ちょっと余ったんで、と吉澤が背中から腕の後ろと、首の周りと、腰のところにまでそれを広げたことにも無防備に応じてしまったくらいである。
 さて、と吉澤はそこまですると最後の容器を手に取った。

「いきますよ。準備はいいですか?」
「ん? え、ああ。いいよ。どうぞどうぞ」
「じゃ、遠慮なく・・・」

 指先がすっと背中をなぞった。思わずひゃっ、と保田が声をあげてしまうのを引き戻すように吉澤が腰のあたりをつかむ。つる、と自分の体らしくなくその指が滑るのに保田は気がつく。
 吉澤は再び腰掛けた保田の背中にさらに三つ目の液体をかける。いやにぬめりのある、泡の立たないもっと濃度のある・・・。
 そこで、保田は自分がもしかしたらまんまとはめられてしまったのではないか、と考えがよぎった。
 吉澤が背中にまんべんなく塗ったローションを腕の後ろに伸ばして、さらにそれを広げるように手のひらで掴むように腕を末端に向けて滑らせていく。
 手首のところまで行って、指先で手の甲に一回円を描くようにすると、また肩のところへと手滑って戻す。途中でふと自分の耳元わきに吉澤の顔があることに保田は気がついた。

「保田さん、どうですか? 三段階目は」
「いやー。いいっていうか、なんていうか・・・」
「あんまり気持ちよくないですか?」
「うーんと、いや。気持ちいいとかってんじゃなくて。あ、いや」
「そうですかー。じゃ、しょうがないですね」
「ん?」

 片手で保田の肩をさすりながら、器用に吉澤はさっきの容器を開いて保田の首筋近くに液体をたらした。つつ、と体のラインに沿うように重たい液がなぞり落ちていく。脇の下近くで、吉澤は一旦その液体が滑り落ちるのを受け止める。
 保田の脇の下から腕を入れて、それを鎖骨の下らへんに手探りで塗る。するする、と大きく指を回して、螺旋の形に胸の前にまで下りてくる。

「ちょ、吉澤! 何すんだよっ」
「だって、保田さん、気持ちよくなかったんでしょ?」
「それは、だから・・・その」
「やっぱり吉澤もやるからには満足してもらいたいですからねぇ・・・」

 つるり、と指先が胸の先端を掴もうとして掴みそこなった。それとも、わざとそうしたのかもしれなかったけど、どっちにしろその効果は絶大だった。
 保田が瞬間的に声を出して、それがお風呂っていう場所では妙に大きく聞こえたりして、見えない角度の吉澤の勝ち誇ったような顔が保田には目に浮かぶようだった。

「どうせなら、徹底的にやりましょうか。ね?」
「吉澤、あんた。最初から・・・」
「いいみたいですね。私も使ってみるまで効果のほどは眉唾かなと思ってたんですけどね。このローション」
「は?」
「本当にあるんですね。『媚薬効果』って」

 げ。
 吉澤が上着を脱ぎ捨てるのがわかったけど、それを止める前に今更解説されたローションが目に入ってしまった。
 走り読みした感じ、やっぱりその品物は純粋に体の洗浄というよりは副次的な効果の方がメイン(笑
)な代物らしい。
 吉澤が湯船からお湯をざっとかぶって、自分の体にもその中身をざっと垂らした。薄桃色の液体が、効果を知ったこともあってますます怪しい色に輝いて見える。

「吉澤、やめようよ。やっぱ、ね?」
「何を今更。だって、吉澤はですね、今日から圭ちゃんの弟子なんですよ?」
「(そういえばそんなこと言ってたっけ)。それって、なんか関係あるの?」
「あるもなにも、保田さんにはぜひ教えてもらいたいことが沢山」
「そんなん・・・だって、ないって・・・」

 座っていた保田の体を前に向かせて、吉澤は胸元に手を触れさせた。たっぷりとつけたローションをお腹と腰とに回して丁寧にもったいぶったように大腿へと塗りつける。
 腕を腰に回されると、お互いの体がぬめるように僅かに横にずれる。
 手繰り寄せるように頬に指を添えられて、ゆっくりとキスをされた。甘い香りに鼻をくすぐられる。

「吉澤が知りたいのは、『保田さん』なんですよ」
「はい?」
「これから、たっぷり教えてくださいね」

 キスからはずれた唇が頬から耳の下、喉元へと移動する。ぐいっ、と身体を寄せられて椅子ごと体がすべり、背中がバスルームの冷たい壁にくっついた。
 捕まって抱きかかえられた体に吉澤の胸が密着したのを感じる。
 保田はこれがまだ始まりでしかない、と思うだけで気が遠くなりそうだった。

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