32.糸電話




 仕事の合間の空き部屋に一人。
 加護は取り出した紙コップを裏返して、だいたい中心だと思える場所に針をさした。時間をかけて引き抜いて、もう一つにも同じ作業をする。
 思ったよりも上手にできたことにほっと満足な顔をしてしまっていた、そんなときである。
 いきなりバタバタバタ、とせわしなく足音がして、飛び込むようにして誰かが入って来た。加護のいる位置からだと、ちょうど植木が影になっているけれどもところどころで見え隠れする背格好で誰かは確認するまでもなくすぐにわかる。

「いた? こっちの方」
「ううん。どっかの部屋に入ったのかな」

 廊下のすぐ外のあたりから声がした。加護もついでに静かにしていると、息を殺したふうにその人はドアのこちら側で様子を窺っているらしい。
 やがて、「じゃ、あっち見てみよっか」とか台詞が聞こえて足音が遠ざかると、ホーっ、と深く息をついた。体を部屋の内側に反転させて胸を撫で下ろした。
 しかし、部屋の内側に一歩踏み入れた瞬間だった。

「わっ!」
「ひゃぁっ!!」

 狙い済ましたかのように加護が影から声をかけると、思いっきり素の顔で保田が地面から数十センチと飛び上がって悲鳴をあげた。
 あまりにも驚き方が尋常じゃなかったイタズラに加護が大笑いをしようと口をあけたところで、がばっと押さえ込まれた。

「ばかっ! あんた、なんてことしてくれんの」
「て、言っても・・・何? かくれんぼでもしてるの?」
「あー、そうだよ。けど、かなり切羽詰ったかくれんぼだね」

 保田がそれ以上の説明を加えようとする前に、ばたばた、と先ほどの足音が戻ってきていた。ヤバイ、と保田は加護の耳元で声をあげて、すばやく机の下へともぐりこんだ。加護がぼんやり立ったままでいると、「何やってんの!」とかなりマジな声で机の前に引っ張られた。

「いい? あたしはここにはいない。わかったね」
「はぁ? そうなのー?」
「言うこと聞かなかったら、ただじゃおかないからね」

 保田はそう言って机の下にある箱の影に身体を折りたたんだ。自分が入っても狭そうだな、と加護は思ったけど、あえてその辺に文句はいわずにさっき一人でそうしていたように机に戻って紙コップを手に取った。
 足元を覗くと、狭そうにその場の様子を窺おうとしている保田の顔が辛うじて見える。

「あ! あいぼんじゃない。どうしたの? こんなところで」
「えーと。あの。これなんだけど、学校の先生が授業に出ないかわりに一つ工作を提出しなさいって言ったから」
「へぇー。偉いね。何作ってたの? 紙コップ?」
「糸電話だよ。これから糸でつなぐの」

 おいおい、中学生の宿題としてはいささかお題目に楽をしすぎじゃないかい? と保田は思ったけれども、本人はその気らしい。
 入って来たのは石川だろうことも声でわかる。そうして加護と会話をしているうちに、開いたままになっていた扉から、数人がさらに入って来た気配がした。

「あ、加護じゃん。こんなところにいたんだ」
「へい。矢口さん」
「何なに? 工作? なかなかうまくできてるじゃん」
「ありがと、ごっちん」
「懐かしいね。こんなのすごく久しぶりに見たよ。なかなかいいところに目をつけたんじゃない?」

 加護が受け答えするうちに次から次へとぞろぞろと。最初に矢口、後藤、それにアヤカという、あまり普段見ないような一行である。
 後藤が加護と真面目に糸電話について語らっていると、矢口が石川を呼び戻して何か聞いていた。石川は首を横に振っている。会話が途切れたと同時に一斉に視線は加護に向けられた。

「ね、加護。聞きたいことがあるんだけどさぁ」
「何ですか? 加護で答えられることならなんでも」
「ここに、圭ちゃんて来なかった?」

 ビクっ、と動揺しそうになる加護の足元を指先がつついた。ちらっと見下ろすと、そこには怖い顔をした保田がいる。

「いないって言いなさい」
「は、はぁ?」

 聞こえた声に、加護は思わず妙な声を出した。すかさずそこで石川が怪訝そうに目線を変えたのがわかって、加護はとりあえずごまかしていやー、と手元の電話をいじった。足元で保田が加護にしか聞こえないような声で指示を飛ばす。

「事情はあとで説明するから、とにかく今は言うとおりにして。お願い」
「う、うん」
「どうしたの? あいぼん、誰と話をしてるの?」
「いやいやいやいやーっ」

 加護は受話器を振った。一歩近寄ろうとする石川に大きく首を振って、危うく足元近くにまで来そうなところをとどめる。

「別に。誰も来なかったよ。ずっとここにいたけど。さっきの足音バタバタいってたのって梨華ちゃんたちなの?」
「まー。そういうことになるのかな」

 矢口が詳しく説明するかどうか迷っているのか曖昧な言葉でごまかした。一同は、ぐるっと部屋の中を見回すけれども、ちょうど荷物の入れ替え途中でもあったこの部屋は雑然としていて一見どこにも人の隠れる場所なんてないようにも思える。
 一番最初に目で探すのを諦めた後藤が加護を見下ろした。

「加護、まさかと思うけど嘘とかついてないよね」
「嘘? え? なんで? なんで加護がごっちんに嘘つかないといけないの?」
「そうだよね。そんなことない、ってわかってるんだけどね」

 あはは、と笑ったので加護もつられて笑った。保田はその演技に内心はらはらしたものの、予備知識のない人には自然な振る舞いに見えるのか、誰もそのことを疑おうとはしていない。
 「じゃ、別の部屋にいるのかな?」とアヤカが言い出したところで、矢口も石川も賛成して頷いた。
 加護としては、ここで、いきなり箱を蹴飛ばしたりして保田を表に出したら面白そうかも・・・などとイタズラ心はが衝動としてないわけでもないけれども。
 保田にとってありがたいことに、加護がその衝動に負ける前に一同は出口に向って歩き出していた。

「遠くにはまだ行ってないはずだよね。多分」
「うん。こうなったら部屋全部捜すくらいした方がいいかも。さっきの話だとまだ建物からは出てないらしいんだし」
「あ、あいぼん。邪魔したね」

 加護がおとなしく返事をすると、順に部屋から出て行った。最後尾にいた後藤が出る直前にふと振り返る。

「もし見つけたらさ、教えてくれる? 携帯とかに」
「わかったー」
「たくー。どこ行ったのかな。せっかく後藤がさ・・・」

 ブツブツ言いながら出て行ってしまった。
 加護がそれを確認してからゆっくりと椅子を引くと、しばらく小さくなっていたせいで足でもしびれたのか、保田が這うようにして出てくる。
 床に腰掛けたままトントン、と腰を叩いていた。

「ご協力、感謝するよ。はー、やれやれ」
「オバチャン。なんか悪いことしたんやろ」
「はぁ? なんでそういう発想になるのかなぁ」
「だって、あんな大勢に追われるなんて。加護だってよっぽどイタズラしてもそんなことないよ」

 保田はこり固まった関節をあちこち伸ばしたりほぐしたりしながら加護への説明を考えていた。しかし、ここで適当なことを言うのもせっかくかくまってくれたのに失礼だし。
 よっこらしょ、と身体を引き上げて、保田は聞きたがっている顔の加護の前の椅子に腰を下ろした。

「実は、ちょっとしたミスで・・・」
「ミス? やっぱり悪いことしたんだー」
「ていうかさ。だって、普通思わないじゃないか。約束してた日がみんな一緒だったなんてさ」

 それは・・・要するに自分が悪いんじゃないかと。加護が素直にそう感想を言うと、「しょうがないの!」とキレ気味に保田は返事をした。

「口約束だったからさ、あんまり本気で覚えてなかったんだよ。しかもこういう日にかぎってみんな仕事も順調に終わるしさ。不可抗力だよ」

 詳しいことを聞くと、つまり誰が最初かはわからないけど、4人それぞれと買い物・食事・映画・家に遊びに行く、ということを約束させらていた。
 けど、どうせなんやかやで流れるだろうと踏んでいた保田に反してそれぞれは非常によく覚えていて、当日である今日になってそれがカルテット・ブッキングになってたことに気がついた、というわけである。
 最後まで聞くと、加護はぽかん、と半分口を開いて思いっきり呆れたという顔をした。

「ちゃんと謝んなさいよ?」
「うーんと。まぁ、ね」
「食べ物と女の恨みは怖いんだからね」
「そうかー。そうだよね・・・」
「で? どうするの? これから」

 保田は、「それを言われるとなぁ」みたいに困って頭を掻く。謝るにしても、この状況だと一人ずつってわけにもいかなそうだし、それに順番とかでもまた微妙な詮索を生みそうだし。
 どうしたもんかなぁ、と保田が迷っている間に、加護は手早く先ほどまでの工作の続きをして、きれい糸を通してつまよう枝を切った先に結ぶ。
 はいはーい、と片方を保田に渡して楽しそうに片方から糸を通した話を始める。

「浮気ものー。優柔不断ー。ろくでなしー」
「んなこと言ったってしょうがないじゃん。あたしだって好き好んでねぇ」
「反省しろー。今日は反省するべきだー」
「・・・わかってるよ。はいはい」
「だから、今日は加護になんかおごりなさいー」

 はぁ?
 と保田が電話から耳を離して見ると、加護は得意そうに笑って続きを聞くように保田に促した。

「相談に乗ってあげてもいいですよ? この人生経験豊富な加護が」
「そりゃどうも」
「今日はお腹が減ったから、沢山食べたいぞー」

 最後に、保田は耳にあてていたコップを取って、自分からも言葉を送った。
 「ばーか」、と言ったけれども加護は怒るでもなく、そこで通話を終えた電話をカバンに崩れないように丁寧にしまった。
 同時に立ち上がって、保田が先に立って歩き出す。

「こういう時、あんたって意外と調子いいよね」
「世渡り上手と呼んでほしいです」
「あたしもそんくらい要領よくなりたいもんだよ。本当」

 扉を開く前に一応外の気配を探った。足音も声も遠くて、出て行くには今が絶好のチャンスかもしれない。
 二人はゲームでもするみたいに部屋を出て、廊下を走って玄関まで抜ける。

「けど、もし4人を出し抜いてこうしてあんたと出かけたことがわかったら、きっと恨まれるのはあんたの方だからね」
「そんときは、そんときで」

 たいしたもんだな、と保田は思った。
 同時に、財布に今いくら入ってたっけ、とほんのちょっと心配しながら。
 二人は玄関から外へ脱出を成功させた。

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