34.浮気癖と美容室




 市井の話によるとこのへんらしい、という情報をたよりにたどり着いたのは、その美容室だった。なるほど雰囲気はいいし、店員さんもみんなすごくおしゃれで感じのいい人ばかりだ。
 後藤は入ったときから気分よく、予約していた人が空くまでしばらく待って、それから案内された席についた。やってほしいカラーリングとか、カットとかその他希望を伝えると、市井が前に来たときに指名したと聞いているその店のチーフが後藤の髪に触れた。
 鏡越しに見る感じ、まだ30には行ってないだろうくらいの年齢の、大人の色気の漂うちょっと頭の良さそうな人だった。 胸の名札には「安宅」と書いてある。

「市井さんの紹介で来たの? 後藤さんは」
「えー。そうなるのかな。市井ちゃんには内緒なんだけど、いっつもこのお店のこと褒めてるから一度来てみようかな、って」

 長さを確かめられながらの会話で後藤がそう伝えると、その美容師さんは「ありがとうございます」と上品な笑顔を鏡に映した。それを見ていた後藤がつい顔を赤くしそうになる、すごく洗練された上品な笑顔だった。

「市井ちゃんは、ここに来た時はいつもあなたを指名するんですか?」
「そうですね。大抵・・・いや、いつもかな。呼んでもらってますね。お得意様かも」
「へぇ・・・」

 シャキシャキ、と先をそろえる手つきに身体を動かさないまでも、内心がぐらっと揺れた。こういうのを、女の勘、とでも言うのかもしれない。人当たりよくニコニコと毛先をそろえる安宅という人の顔を後藤は黙ってさぐっていた。
 まかさ、とは思うけどね。

「あの、変なこと聞くみたいなんですけど。市井ちゃんてここに来たときとか。どんな話をするんですか?」
「どうって。別に、普通だよ。お仕事のこととか、天気のこととか。どうかした? 何か聞きたいことでもあるの?」
「ていうか、あー。」

 違ったら言って下さいね、と後藤は前置きして聞いてみた。一瞬作業の手を止めてしまうほど、最初驚いたらしかったけど、安宅さんはすぐにそれにたいして「よくわかったね」と答えた。やっぱりね、と後藤は心の中で舌打ちした。こういうときの勘ていうのはどうしてこうも鋭いんだろう、と自分でも不思議だ。
 答えてしまってから、安宅さんは不思議層に後藤の顔を探るように見た。

「うん。・・・あれ? いけないこと言った? もしかして私」
「そんなことないですよ。貴重なお話です」

 もうちょっとその話、詳しく聞かせてくれませんか、と続けると、快く仔細丁寧に答えてくれる。後藤はカットが終わるまでにはすっかり満足した顔で椅子からおりていた。
 と、後藤はそのチーフさんに怪しまれない程度に、と気を遣いながら話を聞き出した。すると、出てくるわ出てくるわ、試行錯誤でなんとか関わりを持とうとしたらしい形跡が。
 本人もそのことを途中で悟ったのか、楽しそうに後藤に詳しい話を聞かせてくれた。
 てなことで、セットの終わるころには後藤もすっかり満足していた。
 出口付近まで最後に送ってくれて、「ありがとうございました」って言われるころ、ふと後藤は振り返って店内の一点に目を止めた。思わずにんまりと口もとを緩めてしまう。

「あの、突然で悪いんですけど」
「はい。何ですか?」
「これ。一週間・・・いや、4、5日で返しますから、貸してもらえないでしょうか?」

 安宅さんは唐突な申し出に最初驚いたけれど、後藤の真剣な顔に押されて「いいですよ」と言ってしまった。後藤はよろこんでそれを受け取る。さすがにカバンに収まる大きさではないのだけれども。

「ありがとうございます。じゃ、またきっとこのお店来ますね」
「はい。いつでもお待ちしております」

 さすがに客商売にこなれた美容師いえども、そのとき笑顔でそれをレンタルした後藤の本当の目的までは簡単に予想できたりするものではなかった。


*****


 数日後。
 久しぶりに後藤の家を訪れた市井は、まず最初にその変わった髪型について褒めた。

「なんだぁ。ずいぶんおとなっぽくなったね。イメージチェンジ?」
「そう? 本当に市井ちゃん、そう思う?」
「思う思う」

 いつもそうしているように仲良く市井が後藤の頭をなでて、後藤もその顔にちょっと今日本来の目的を忘れてしまいそうになってしまう。しかし、と後藤はそのとき見聞きしたことをそのまま見過ごすわけにはいかない、と気合いを入れ直してくっついた市井の体を離した。

「あのね、この髪の毛。実は前に市井ちゃんが言ってた場所でやってもらったんだ」
「え? そんな話前にしたっけ」
「したよ。なんかねー、話しながらすっごく楽しそうにしてたから、後藤も覚えてたんだもん」

 と、ちらっと市井を横目で見る後藤。そのとき手入れしてもらった爪先を自分の手もとでもてあそぶようにしていると、市井はなぜか視線を泳がせる。

「そんでね。指名する時、やっぱり市井ちゃんが言ってた人にしてみたの」
「えと・・・ごめん。誰だっけ? ていうか、そんなこと言ったかぁ?」
「市井ちゃん、覚えてないの? その人、市井ちゃんのこと覚えてたよ。『お得意さまかも』とか言ってたし」
「あはははは。そうだったっけなぁ。別にそんなつもりないのになぁ」
「『あんたく』さん? だっけ? あり?」
「『あたか』でしょ? 安宅の関ってあるじゃん。勧進帳の舞台の」
「知ってるじゃん。しかも、詳しいじゃん」
「う」

 引っかけに飛びつくように引っかかった市井が言葉を濁した。後藤は、ちょっと呆れ気味にその焦った態度を見ている。

「どうして最初に隠したの? 最初から知ってるって言えばいいのに」
「いやぁ。なんとなく・・・その・・・」
「その人、すごーく親切でね。後藤が市井ちゃんのこと聞いたらいろいろと教えてくれたよ」
「げ。何だって」
「市井ちゃん、大抵くると自分指名してくれて、それでたくさん話をするって。お天気のこととか、仕事のこととか」

 そこまでなら、別に後藤だってこんなふうに言い出しませんよ、と話途中で後藤は心の中でつぶやいた。市井は、というと次の台詞がないことにややはらはらとしているっぽい。
 焦らなくても、ちゃんと言いますよ、と後藤は思う。

「で、一番最近に行ったとき。市井ちゃん『休みっていつですか?』って聞いたって?」
「そ、それはほら、あれだよ。もしまた来た時、安宅さんいなかったらやだなーって思ってさ。そうそう」
「『休みがもし一緒だったら、どこかに行きませんか?』とか言わなかった?」
「言ってない、言ってない。そんなこと絶対言ってない!」
「じゃ、そう言わなくても、『そのうちおいしいラーメンでも食べに行きませんか?』とか誘ったんじゃない?」
「それは・・・ちょっとくらいはそんな話したかもしれないけど・・・別にそれ以上の意味は」

 証言を持ち出されて市井はいちいち反論と言い訳をはじめる。後藤は、今日のためにと何度もシミュレートしてきたことを負けずに話し続ける。
 なかなか頭を下げようとしない市井に対して、後藤はやや冷たい視線を向けた。

「下心あったでしょ?」
「ない! そんなつもりは絶対にありません」
「そうー? なんか『すごくきれいですね』とか『憧れます』とかそういうこと言わなかった?」
「えーと。多分・・・」
「『長年美容師やってるけど、お客さんに逆に褒められるなんて滅多にないよ』とか笑ってたかなー」

 チェックメイト、かな。後藤がそこまで証拠を並べ立てると、市井は黙りこんでしまった。最初はそれでもそれに見合う言い訳口実を探していたようだったけど、やがて何を言っても最後には負けるのは自分とわかったか、突然「だーっ」とか叫び出した。

「わかったよ、認めますー。通いました。誘いました。褒めました。けど、それ以上は本当になにもないんだよー」
「あたりまえだよ。あったら、後藤だってこんなに落ち着いてなんていないよ」

 逆ギレ寸前の市井に対して、ものすごくクールな後藤。だって、そんなことになってたら、相手だって後藤に話したりしないだろうし。(ていうか、話し方からして相手にされてないってのは歴然としてたし)。だから、問題は既成事実があったかなかったか、じゃなくって、もっと根っこのところの話。

「どうしてそういうことしたの?」
「なんでって。いや、別にこれといって理由は」
「後藤に飽きちゃったの? 市井ちゃん」

 泣きそうな顔をつくって、うわーん、と手で顔を覆って後藤は大げさに体を斜めにした。市井はびっくりして「おいおい」と近寄って肩に手をのせる。

「ちょ・・・後藤、泣かないでって。ね? なんつったらいいかなぁ。市井が悪かったからさぁ」
「だって、市井ちゃんはもし相手がうまい具合に誘いに乗ったら、一緒にどこかに行って、おいしものとか食べて、そんでイロイロとしちゃうつもりだったんでしょ?」
「違う違う! それはまた違う話だぞ、って」
「市井ちゃんにとって、後藤は安全パイなんだ。キープなんだ。大事になんて思ってないんだー」

 また大げさに泣きの演技をする後藤だたけど、今の市井には相当効いたらしい。指の隙間からちょっと顔色を窺うと、本気でどう言ったらいいのかわかんなそうに何もない空中を何か探すようにして眺めまわしている。
 さぁ、どのへんで引こうかな、と後藤が考えていたところ。

「あのさ、後藤。だから、ちょっと聞いてほしいんだけど」
「うん?」
「キープとか、そういうこと言うなって。市井は、ほら。そんなつもりだったんじゃなくてさ。本当に、ちょっとした出来心だったんだよ。・・・だって、最近後藤ともうまく会えなかったりしたでしょう?」
「・・・ん」
「そんで、そういう話を最初にちょっと相談したんだ。安宅さんに。そしたらすっごく気持ちが楽になったりしてさ。だから、もともとは浮気とか、そういうことを考えてたんじゃないんだよ」

 そりゃ、途中からそういうことするのをちょっとは楽しんでたりしたのはあるけどさ、と小声でつぶやいたのも聞き逃さなかったけど、まぁそれはそれ。
 後藤の背中に手を置いて、ぽつりぽつりと話をしている市井の態度に嘘はなさそうでもある。

「寂しかったの! 後藤がいなくって。悪い?」

 最後にぶっきらぼうにそう言って市井が横から抱きしめてきた。後藤はふと、どうして自分がその美容室に突然行きたくなったかってことを思い出した。
 それも、確か最近うまく市井に会えない日が続いてて、そこでちょっとは関わりのある場所に行けばなんかの拍子に会えることがあるかもしれないし、そうでなくても市井に関することを誰かと話ができるかもしれないって、そんなふうに考えたからじゃなかっただろうか。
 そう思えば、今回の市井の行動は、許すかどうかは別にして、理解できないものじゃないようにも思う。
 後藤は、そこまで考えが行き着くと、ふと目を閉じて市井の肩に頭を乗せた。気が付いたのか、市井がその頭をゆっくりと撫でた。

「ごめんね。後藤」
「・・・許すわけじゃないんだよ。浮気は浮気なんだからね」
「うん。わかってる」
「今度やったら、もっと怒るんだからね」
「ん。約束する」

 そこまで聞くと、後藤は「よし」とつぶやいて乗せていた顔を上げた。向かい合う距離にいた市井が頬に触れて、キスをした。
 目を開けて、後藤が「今日はずっと優しくするんだよ」と言うと、「わかってます」と神妙に市井が微笑みながらそう言った。

「じゃ、罪滅ぼしに今日は市井、後藤の言うことを聞く。ていうのはどう?」
「うーん。ま、そんなところでいっか」
「手始めに何しよっか。肩もみ? それともなんか食べ物とか持ってくる?」

 ケンカはもうおしまい、というふうに市井は踏んだのか、楽しそうに後藤にそう言う。後藤は、ちょっと迷って、それから「そうだね」と市井の顔をじっと見る。

「・・・じゃ、お言葉に甘えて。ね、市井ちゃん。冷蔵庫からジュース持ってきてくれる? 今日一日とかじゃなくって、それでいいから」
「え? そんなんでいいの。遠慮しなくていいのに」
「ううん。市井ちゃんが反省してること、後藤はちゃんとわかったからさ」

 と、笑顔でまた軽くキスをした。市井は感動したようにほんのちょっと涙目で「ごとー」とか言って立ち上がった。

「冷蔵庫、だよね。もう中に入ってるの?」
「うん。多分開けたらわかるから」
「じゃ、行ってくる。すぐ戻るね」

 市井が立ち去るタイミングを見て、後藤はベッドに持たれて天井を見た。足音が遠ざかる気配を聞きながら、ふと目を閉じる。台所についたあたりで、こっそりと独り言した。

「ごめんね。市井ちゃん」

 同時に、家中に響き渡るような悲鳴が聞こえた。パニックになったらしい足音が騒がしくバタバタとこっちに向かって走ってくる。
 後藤はすばやくベッドの中に潜り込んで体を丸めた。
 こらえようとしても、おさえられないくらいの笑いが込み上げてきて、肺が痛い。

「ごとーーーーーっ!!」
「だってー。あははははは。いちーちゃんが悪いんだよーっ」

 今日、後藤は家人がいなくなった直後、市井がここにくる少し前に、先日美容院から借りてきたあるものを冷蔵庫の中に入れておいたのだった。
 市井がそれを開いたと同時に見つけてパニックになったそれとは。
 ・・・美容室、床屋であればどこにでもある、展示と練習用の、人の頭部分のマネキンだった。


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