27.微熱




 読み散らかしていた雑誌閉じて重ねた。とりあえずは部屋の隅にでも置いておくことにして、それから次は、と市井は自分の部屋の中を見回した。
 あらかた片付いてはいるものの、一応掃除機をもう一度かけておこうかな、と思ってクローゼットかた取り出す。コンセントを伸ばしている途中で、「コンコン」と小さく咳き込んだ。

「(んー。なんだろ、風邪かな・・・)」

 ここのところ急に温度が下がったせいもあって、昨日の夕方あたりからちょっと食欲がなかった。けど、まぁ温かくして寝ればなんとかなるだろう、と油断していたのがたたったのかもしれない。
 自分の手のひらを額にあてるものの、手のひら自体も温かいのか、あまり温度はよくわからない。
 掃除機は一旦おいておいて、市井は戸棚から取り出した温度計を耳に入れてみることにした。すぐに機会音が鳴って取り出すと、36.9°とあった。

「微熱・・・ってやつ?」

 市井は体温計をしまって掃除機を振り返った。辺りを見回すようにすると、かすかに景色がぐらついたようにも思えた。
 けど、熱があるっていっても大したことじゃないし。きっとちょっとしたらすぐに直るさ、と自分に言い聞かせて掃除機を持ち上げる。そうそう、そんなくらいでくじけるわけにはいかないのである。特に、今日は。
 掃除をしながら時計を見上げて、そろそろかな、と思ったと同時に玄関のチャイムが鳴った。

「どなたですか〜っ」
「あー、宅配便ですー」
「何を宅配してくれたんですかぁ〜?」

 取り上げたインターホンで市井が受け答えする。入口のカメラはもう位置がわかっているのか、思いっきり自分にむかって手を振っているのは見えているんだけど。

「とってもかわいい女の子が一人ですー。お待たせしましたー」

 あーそう、とその返事に苦笑して市井は玄関のドアを開いた。そこには確かにかわいい女の子が一人立ってはいましたけどね。

「今日は早かったじゃん。珍しく」
「そうでしょ? なにせ久しぶりだもんね。頑張って早起きしたんだよ」
「よくできました。偉い偉い」

 ご機嫌で後藤が帽子を取って中に入って来た。市井もつられて笑顔になりながら部屋に入る。どうぞ、と後藤に座布団を差し出そうとして、いきなりガツン、と音がする。

「いってー・・・」
「いちーちゃん、大丈夫? 何? 掃除機?」
「あー、そうだった。後藤が来るまでここの掃除してたんだったっけ」

 痛くて腰を落としてぶつけた足の指をおさえた。座り込む瞬間、またくらっと天井が揺れたようにも思えた。嫌な予感がする。
 後藤が、座ったままボーっと目を潤ませた市井を不思議そうに覗き込む。名前を呼ばれて、市井ははっと我を取り戻した。

「いちーちゃん? もしかして、具合でも悪い?」
「んなことないよ。大丈夫。昨日ってさ、ほら少し冷えたじゃん? それですこーしだけ・・・」
「少し・・・?」
「だから、その」

 皆まで言わないうちに、と後藤が手を伸ばして市井の前髪を掻き分けた。額に手を当てて、もう片方においた自分のものとの温度差を測っている。いいよ、と市井がその手をどけようとすると、ちょっと怒ったように市井の手首をつかんで睨んだ。

「市井ちゃん?」
「はい?」
「風邪は引き始めが大事じゃなかったっけ?」
「・・・うん」
「じゃぁ、大人しくして。嘘ついたってすぐにばれるんだからね」

 勢いに気おされて市井が思わず背筋を伸ばすと、後藤は額に乗せていた手をどけて、直接自分の額を重ねた。いきなりだし、久しぶりだし、で市井は緊張で思わずぐっと目を閉じた。
 後藤は数秒して顔を離して市井がゆっくり目を開けるのを怖い顔をして見つめている。

「やっぱり。熱があるんだね。顔も少し赤いよ」
「けど、さっき計った時は7度なかったんだ。だから、平気だと・・・思う」
「あー、もう。はいはい、こっち来てねー」

 立ち上がった後藤が市井の手を引いて、奥のベッドルームに連れ込む。ほら! と投げ込むように市井をベッドに転がして、はぐりとった毛布でぐるぐると身体を包んだ。
 ぶはっ、と顔を毛布から出した市井が次に見たのは、自分の寝ているベッド脇でなぜか力強く腕まくりをしている後藤だ。

「何すんの? どうしたの?」
「何って、こういう状況ですることって言ったら決まってるよ。今日、後藤はいちーちゃんの看病をします」
「看病って言っても、別に何も・・・」
「お腹減ってない? 冷蔵庫ちょっと開けるよー」

 言うが早いか市井の返事も待たずに後藤がベッドルームから消えた。一度不安に思った市井がこっそり起きだして台所を覗くと、なにやら鍋とか引っ張り出しているところだった。見つけられて、後藤が再び飛んでくる。もう一度ベッドに転がされてきれいに包装された。

「いいから、しばらく大人しく寝てなさい。すぐできるから」
「(なんでそんなに張り切ってるんだよ・・・)」
「何か言った?」

 市井は強く首を振った。有無を言わせないにっこりとした笑顔を残して、後藤はそしてまた台所に戻る。市井は、なぜかいつもとちょっと違うようにも思える後藤を思い、そんで僅かながらも熱が上がったかもしれないせいで弱気な自分を思い、それからとりあえずは逆らっても無駄であることを思ってぐるぐる巻きのベッドで目を閉じた。
 熱独特の体のふわっとした感じと、台所からこぼれてくるお米のとける甘い香りにくすぐられて、うとうとと半分眠るようにして時間を潰した。
 数分かそのくらいして、部屋の扉が開いた音がした。

「できたよ。いちーちゃん」
「あ、そう? 何、なに?」
「簡単で悪いんだけど・・・。あーっ、わかってればここ来る前になんか買って来たのになぁ」

 残念そうに舌打ちしながらも持ってきた器を膝に市井の隣に座った。身体を起こして市井が見ると、そんな言葉が謙遜に聞こえるくらいにきれいな色のお粥が盛られていた。

「食べさせてあげる。あーん」
「いいよ。自分で食べれるって。んな重病ってんじゃないし」
「・・・いちーちゃん」
「はい。すみません」

 押し戻されて市井はベッドサイドに腰を寄りかからせる体勢でおとなしくした。後藤がまだ湯気の上るお粥に息をふぅふぅ吹きかけて、それからスプーンを差し出した。
 最初は恥ずかしそうだったけど、やっぱり逆らうことはできなくて、市井はやけくそ気味に口を大きく開いた。食べると、後藤は満足そうに微笑んだ。

「たまには、よくない? こういうのも」
「んん? こういうの、って。こうして病気になって、看病してもらうこと?」
「それもそうだけど、市井ちゃんが後藤に甘えるっていうの。さ」

 食べかけの米がぐっと喉に詰まった。ちょっと行き違って軽く市井はむせる。後藤はあわてて皿を置くと、かいがいしくその市井の背中をさすった。けほけほ、と市井は顔を赤くしてしまう。

「それって、いいことなのかぁ? おい」
「いいに決まってるじゃん。なんで悪いの?」
「悪かぁないけどさぁ。なんていうか・・・たく、何言い出すんだか。突然」

 ぷい、と顔をそむけて市井は後藤と反対側の壁を向いた。後藤は、というと一度食事の続きをしようと皿を手に持ったものの、思い直してもう一度サイドテーブルに置いた。
 その音が聞こえて市井が振り返ると、ぎし、と音がして後藤がベッドに肩膝をついたところだった。

「おい! 今度はなんだよっ」
「だってー。病気って言ったら次は決まってない?」
「だから何なんだって」
「添い寝だよー。後藤も市井ちゃんと一緒に寝るの」

 それは違うんじゃないか? と市井が思って反論する前に後藤が毛布をまくってその中へと入り込んできた。向かい合うように並んで横になると、毛布の端っこをたくし込んだ。
 楽しそうに笑う後藤に対して、市井は顔をそむけてちょっと怒ったような顔をした。

「おいおい、それで染ったりとかしたら、冗談になんないんだよ?」
「平気だもーん」
「何を根拠に言っているんだ」
「後藤は市井ちゃんと違って丈夫にできてるし、ナントカは風邪引かないっていうし」
「自分で言うなっての。そういうことはねぇ」

 狭い毛布の中でぎゅうと抱きしめられる。市井は最初の一瞬だけ抵抗しようとしてみたけど、後藤の手つきにあまりにも迷いがないもんだから、やっぱりそこでくじける。
 力を抜いて、顔をこてんと倒してそんで腕の中で他人の温もりを感じるというのは。
 やっぱり心地よいもんだ。

「市井ちゃん。本当はどうなの? 気分とか悪い?」
「平気。気分は悪くなんてない。ていうか、全然」

 ちょっと顔が火照るような気がするのは、きっと病気のせいじゃなくって、別に原因のある微熱だろう。
 ふぅ、と身体を自分から寄せてみると、気持ちいいくらいの後藤の匂いがした。

「市井ちゃん、眠い?」
「ん? 何かほかにしたいことってまだあるの?」
「あるっていうか。ほら、風邪治すのってさぁ」
「んー?」
「汗かいた方がいいって言うじゃん?」
「・・・」

 やばい。
 先の展開が少し読めた市井は後藤から顔を隠して黙り込んだ。
 そればっかりはさすがにまずいんでないかと自分なりに思ったもんで。しかし、それまでの流れではそうならざるをえないかもしれなくもあり。

「ね、いちーちゃんてば」
「・・・」

 とりあえず寝たフリをすることにした。
 だけど、後藤が自分にまわした腕に少し力をこめたのがわかる。背中を滑るように指の動くのも感じる。首筋をなぞるようにして止まった手が、顎の方へと伸ばされていくのがわかる。
 微熱が、少し上がった。

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