36.プッチモニの樹




小川麻琴は登っていた。一人背中に大きめのリュックを担いで、一歩一歩、と丁寧に道を確かめるようにして山の上へと向かって歩いている。
 それほど高くない普段は遊歩道用の丘に近い山だったが、こうしてルートを外してみると驚くほど野性味が溢れている。どっと額から顔いっぱいに流れてきた汗を拭って立ち止まると、ちょうどそこへ腰にひっかけておいていた携帯が鳴った。

「こらーっ。小川、あんた今どこにいるのー?」

 保田は電話の向こうでかなり焦った声を出す。しかし、小川はその心配した声に対して電話の向こうを想像して笑った。突然のことで焦る気持ちもわかるけど、だって来ちゃったものはしょうがない。小川が自分の登っている山の名前を告げると、「げ」と心底困ったような声が聞こえた。

「大丈夫です。ここまでかなり順調に登って来れたし、それに保田さんの言ってた目印の前もちゃんと通過してきました!」
「あー・・・むー・・・。けど、ほら。あんた一人なんでしょ? 大丈夫なんかじゃないよ」
「平気です。だって、前に保田さんだって、登ったんでしょう?」

 そこで保田が黙り込んで、小川はもう一度「大丈夫です」と繰り返した。
 そして言う。「きっと、必ず小川も見つけてみせます」と。


*****

 ことの始まりは小川がプッチモニに入ることが決まって少ししたころだった。
 ほかの5期メンもそれぞれに新しい枠組みに入れさせられることになっていたが、そんなことは小川個人のプレッシャーを軽くする要因になんてなりえない。
 不安と希望と期待と。そんなものをないまぜにした気持ちを誰かに相談したい、と思っていたところ、先回りして察してくれたのは保田圭その人だった。
 食堂のカウンター席に二人座って食事をとりながら、保田はいろいろと心のこもった励ましの言葉を並べてくれた。最初はみんな自信がないもんだよ、とか。小川はそんな苦労話を聞きながら、いつもよりも減退した食欲で茶わんの中の米粒をつつく。

「けど、保田さんはこれから作る人だったけど、私はそれを引き継ぐ立場になるわけでしょう? やっぱり不安ですよー」
「そんなん、吉澤だって乗り越えてきたことじゃん。先例があるんだよ」
「だけど、吉澤さんと私じゃやっぱり・・・だから、その」

 もしこれで転んじゃったりしたとき、やっぱり自分のせいってことにもなるわけだし。持ち上げるとかそういうのをヌキにしても正直めちゃくちゃ弱気。保田はやれやれ、とお茶を一口飲んで、それからとろとろと食事をはかどらなく口に運んでいる小川の背中を強めに叩いた。

「そんな自信なさそうな顔するなって。大丈夫だよ、プッチモニは簡単には転んだりしないよ」
「根拠もないことをそんな堂々と言われても・・・」
「根拠? あるよ」

 は? と思わず口をぽかんと開いた小川に、保田はわざとらしく声をひそめて顔を引き寄せた。きょろきょろ、と最初からほとんど誰もいない食堂を見回して、それからもったいぶって小川にこう耳打ちしてきた。

「あのねぇ、今までみんなには黙ってたんだけど、プッチモニには、他のユニットにはない大事な秘密があるんだ」
「秘密ぅ? どんなですか?」
「プッチモニにはねぇ、守り神がいるの」
「守り神・・・まさか、『保田大明神』とかいうオチじゃないでしょうね」
「んなこたーない」

 何がおもしろかったのか、保田は楽しそうに何度も小川の背中を叩いた。小川はというとやっぱり今の話を信じられなくて(普通は信じないだろう)保田が話の続きを始めるまでじーっと疑い混じりの瞳を向けている。
 保田は話の続きをするためにまた顔を近づけた。

「実は・・・誰にも言うなよ?」
「言いませんよ。何ですか?」
「これは、メンバーになった人間だけが知ることができることなんだけど、ある山奥に、『プッチモニの樹』っていうものがあるんだよ。それは思えばプッチモニ誕生の時から、ずっとその時のメンバーを見守って、だねぇ・・・」
「はい?」
「冗談だと思うでしょ?」
「うん」
「・・・って、信じやがれ! この!」

 大真面目に保田は言った。だって、そんなことを言われても多感な中学生である小川だって反応に困る。小川がとてもじゃないけどすぐに信じられる話なんかじゃない、と告げると「仕方ないなぁ」と保田は腕組みした。

「じゃ、その樹についての物語を、これからあんたにしてあげるから。よく聞いてるんだよ」
「はーい。おとぎ話ですね」
「昔々あるところに・・・」
「あの、プッチモニができたのも、そんな昔じゃないんじゃないんですか?」
「うるさいなぁ。いきなり話の腰を折るなよ」
「はいはい」

 茶々を入れてくる小川をなんとかあしらって、保田が始めた話というのは、こんな話だった。
 プッチモニ、というユニットができる前のこと。市井と保田は困っていた。これからの自分たちに未来はあるのか。やっていこうというのに、負け組みである自分たちが勝てるチャンスがあるのか。本当に世の中に受け入れてもらう可能性はあるのか。
 そんな不安を毎日感じていたり、お互いに話し合ったりなんてしていた日々の途中のある夜のことだった。
 保田の夢枕に一人の女性が立った。いや、もしかしたら男性だったかもしれないけど、おぼろな夢の中では女性らしく見えた。その人は、「プッチモニの樹」の精だと名乗った。
 樹の精は、それまでの保田たちの努力は見てきたということ、だから、自分はこれからあなたたちを守るためについていてあげることに決めた、と言った。よくわからないまま保田がそれにお礼を言うと、最後にこう予言した。

「近い将来、あなたたちは一人の新しいメンバーと出会います。そして、その子とあなたたちで、新しい未来を切り開くでしょう、ってね」
「うそぉ」

 小川のツッコミを無視して保田は続ける。しかし、話はそこからが本番であり、翌日そんな夢を見たことを市井に告げたところ、不思議なことに市井も同じ夢を見たという。
 最初はお互い「まさか」な気分で過ごしていたところ、本当に新メンバー募集との知らせが入った。そして、トントン拍子で一人のすごい女の子―――後藤―――が加入してくる。
 市井は、教育係を任命され、「圭ちゃん! これはきっと樹の精さんが大事にしなさいって言ってるってことだよね!」とばかりに一生懸命面倒をみた。自分もサポートした。
 そしてその結果は・・・まぁいちいち説明するまでもないことなわけで。
 小川はしかし飲みかけの水のはいったコップから指先に数滴をとって、自分の眉毛に塗った。

「信じられないのは無理ないけど、でも本当の話なんだからね」
「だって、そんなら市井さんが抜けたりとか後藤さんとか保田さんのこととかどうなるんですか? そもそも、それって『プッチモニ』の精なんかじゃなくって、保田さんと市井さんの神様かもしれないんじゃないですか」
「違うよ。きっと」
「なんで?」
「だって、自分で名乗ってたもん。『私はプッチモニの樹の精です』って」
「『気のせい』の間違いじゃないんですか?」

 いい年して何を言い出すんだこの人は。小川は思って食べかけの皿をぐいっと前に押し上げた。とてもじゃないけどもう食べる気なんてしないし。
 それから考えられる限りのツッコミを入れるものの、保田はそれらしいことを並べては「本当だもーん」と譲らない。小川はそこで一つの決定的なことに気がついた。

「あの、保田さん。今思ったんですけど、その精霊さんて、『プッチモニ』の『樹の精』って名乗ったんですよね」
「うん。さっきから何度も言ってるじゃん」
「だったら、ですよ。どこかに『プッチモニの樹』ってのがあるんじゃないですか?」
「ドキ!」
「ほらー。そうだ、最初に保田さん言いましたよね。『ある山奥に』あるって。それって、何県ですか? どのへんですか? 山の名前は?」
「あのー。あ、それはね。○○県境にある確か・・・淵網山って言ったかな」
「そんな名前の山、ありましたっけ?」
「あるのー。いや、あったの。だって、昔紗耶香と二人でそこまで登ったことあるもん」
「はぁ? じゃ、そのとき通った道順とか、覚えているんですよね」
「もちろんだよ。確かねー。うん、そうそう、中腹の休憩小屋の脇道から、登山コースから外れた道があって、その数十メートルほど先に看板があって・・・」

 保田は油断していた。10代の記憶力というものを侮っていた。
 そんなふうにして、それから思い付く限りの道順を保田は小川に教えた。その通りに歩けば、そう苦労もしないであっという間に守り神の樹に会えるだろうってくらいに詳しい道筋だった。

「ま、そういうわけだからさ。もしかしたらいつか小川の夢枕に立ってくれるんじゃないかなってことで」
「立ってくれるんですかな。ていうか、立たれたらどうすればいいんですかね」
「別に・・・普通に『頑張りますので、どうか私のことも守って下さい!』ってお祈りするといいよ」
「ご加護がありますかね」
「じゃ、あたしもいつかあたしの夢にも出てきた時『小川って子のこと、よろしくお願いします』って頼んでおくし」
「お願いします」
「だから、そんな気弱にならないでね。強気で平気だから」

 最後に保田は小川の背中を叩いた。小川は、会話の途中から保田が立ち去るまでの間こそまるで信じられないというような態度をとっていたものの。
 実は、根は素直にできていたりしたのだった。


*****


「(夢枕に立ってくれるかどうかなんて、わかんないもんね。いつになるかわかんないものを待ってるよりも、やっぱお願いごとなら直接頼みにいかなきゃ)」

 小川は岩場に乗せた足から体を一気に引き上げた。しがみつくようにして段を登ると、そこからうっそうとした木々の並ぶ森へ続く道があった。昼間だし、天気もよいはずなのに妙に薄暗い景色に、一瞬ひるみそうになったが、しかしそこで引き返したら元も子もなくなる、と小川はリュックの紐を締め直した。そうだよ、保田さんの話によれば、ここまでくれば後はたくさんある樹の中からその一本を探すだけだって話だし。

「絶対、一人で見つけてみせるぞ」

 一本一本、と丁寧に探りながら、それらしい痕跡はないかと眺めながら先に進んでいく。そこへ、保田からまた携帯に電話が入ってきた。

「あのさぁ。小川、実は大事な話があるんだけど・・・」
「何ですか? 今ちょっと忙しいんですよ。もうちょっとで『プッチモニ』の樹が見つかりそうなんです」
「それなんだけどさぁ」
「何なんですか? まさか、この期におよんで小川が見つけるのを邪魔しようとかしてるんじゃないですよね」
「うーんと、さぁ。その前に聞きたいんだけど、あんたが今登ってる山って、本当に『淵網山』?」
「そうですよ。以外と近くにあったんでびっくりしました。山っていうよりも丘ですよね。低いし、街から近いし」

 尺度の大きい全国版の地図じゃ見つからない小さな山だったが、小川はたまたまおばあちゃんが近所の散策用にと買った地図の上にその名前を見つけたのだった。もっとも、そこで見つけたからこそこういう行動をとるつもりになったのだけど。

「あのさぁー。小川ぁ。なんで急にそういうことするのさ? 先に一言あたしに相談してくれれば・・・」
「いえ。よくわかんないんですけど、自分で見つけなきゃいけないって、昨日急に思ったんです。そうしないと、ずっと自分はつまはじきにされたままみたいな気がするし」
「そんなに思い詰める必要なんてないんだよ。無理しなくたって、小川は小川らしくしてればいいんだし」
「保田さん、聞きたいことがあるんですけど」
「ん? 何?」
「もしかして、『プッチモニの樹』って・・・」

 保田がごくり、と生唾を飲んだ音が電話越しに聞こえた。小川は携帯を持ち直して耳にしっかりあてて、それから数歩前に進んだ。そこは、切り開かれて明るくなった斜面と、最近植林されたのか知らないやや低めの木々の広場。

「お、小川。その。だから・・・」
「『プッチモニの樹』って、もしかして、あれですか? モミの樹?」
「へ?」
「そうでしょう? 淵網山にあるモミの樹だから『プッチモニの樹』ですよね!」
「は。あは、は・・・」
「見つけましたよ! 保田さん。小川、ついに『プッチモニの樹』に巡り会えることができました」

 うわーーーーいっ! ととびきりの歓声が受話器狭しと叫び出す。保田側では、近くにいた後藤と吉澤までもがびっくりしてそれに目を丸くしてしまったくらいだ。

「保田さん! これに、お願いごとをすればいいんですよね」
「そ、そうだね。うん。けど、相手はなにせ神様なんだから、失礼のないようにね」
「わかってます! あのー。こんにちは。小川麻琴です」

 通話口越しにそして小川が自己紹介と、それまでの不安と、これからの希望を丁寧に敬語をつかって述べている様子を、保田と後藤、吉澤は聞いていた。礼儀正しく述べた後で、「頑張ります。どうかよろしくお願いします」とかなり真剣に言っているのも聞こえた。お願いします、と保田も一緒に言ってしまったくらいだ。
 ようやく落ち着いたかな、ってときを見計らって保田は小川に言った。

「気は済んだ? そろそろ、帰ってきたらどう?」
「そうですね。はいっ。保田さん、ありがとうございます」
「ん? なんだよ突然」
「うまく説明できないんですけど・・・なんだか、ちょっぴり自信が付いたような気がするんです」
「そ、そうなんだ。へぇー、よかったじゃない」
「これから、頑張って行けそうな気がしてきました」

 よーしっ、とかけ声がして、「じゃ、今から帰ります」という言葉を最後にして電話は切れた。保田はそこで急に脱力したように後ろの椅子に倒れ込んだ。どっと汗が吹き出てきて、軽くめまいもした。

「圭ちゃん、どうかしたの? 小川は無事だったんでしょ?」
「そうなんだけどね・・・はぁー。まいったまいった」
「そもそも、どうしてこんなことになったのか、吉澤たちにも教えてくださいよー」

 こうなったら隠していても仕方がない。保田は、小川が落ち込んでいたことからはじめてこの電話をかけるにいたった訳までじゅんに、自分の話したことも含めて二人に話した。
 話し終わったところで、吉澤と後藤は顔を見合わせる。

「・・・そんな樹、あったんだ」
「後藤も、そんな話初めて聞いたよ? いちーちゃんも、そんなこと教えてくれなかったし」
「・・・ないんだよ」
「「は?」」
「そんな樹、最初からないんだよ」

 ?マークな顔で、二人は保田を見た。だぁーっ、とヤケクソになったみたいに保田がキレる。だって、それじゃ???

「全部ただの偶然なんだよ。そもそも『淵網山』っていうのもあたしのでまかせだし、紗耶香はともかくあたしは今までそんな霊験あらたかな夢なんて見たことないしさ。だから、一体どうしてこんなことになったのか」

 保田は頭を抱えた。
 結論として二人には堅く口止めと適当に話を合わせることを約束させる。
 しかして。

 だけどそれ以来小川はちょっと変わったような気がする。前よりもちゃんと自分に自信を持てるようになったようにも思える。吉澤はそのいきいきとした様子を横目で窺いながら思う。保田さんには悪いけれども。

「(吉澤も・・・いつかそこに登ってみようかなぁ)」

 なんて考えてしまうのだ。そして嘘が完全に嘘ではなくなってしまったという奇妙な出来事。「プッチモニの樹」。

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