9.TRUST




 がこん、とギアが自分の足元で落とされた気配がして、その揺れに薄く目を開くとゆっくりと景色は左に曲がって速度の落ちるところだった。
 見ていた夢もリタルダントに、あわせてほんの少し明るくなった室内灯に保田は目をこすった。

「(休憩? なんかあったのかな・・・)」

 ぼんやりしたまま隣のカーテンを指先で持ち上げたけど、そこには静かなサービスエリアの街灯があるだけである。隣に座っている人にそのことについてなにか聞こうと思ったけれども、それが今日は後藤であることを思い出してやめた。
 他の人以上に疲れているだろうし、もし起きたとしても多分大した情報を知っているわけでもないだろう。
 保田は気を抜くとまた眠ってしまいそうになるところを気合で耐えながら、バスがゆっくりと高速の本線からそれて、広い駐車場の隅にある場所へ落ち着くのを待つことにした。何か説明があるなら、その時に聞けばいい。

「・・・ちゃん、起きた?」
「あ、ごめん! 肩重たかった?」

 速度が完全に停まる前に、そんな会話がふと耳の中に入る。場所は、ちょうど自分の座っている席の背後らしい。確か、そこにいたのは小川と紺野だったか。
 最初はやや声が大きいようにも思ったけれども、すぐに辺りの様子に気がついたのか、二人はこそこそと内緒話をするような声に切り替えた。それを寝たフリをしながら聞いている保田は、ほんの少し頬が緩んだ。
 そういえば、自分が寝る前にちょっと振り返って見たけど、こっちが笑いそうになるくらい仲良さそうに寄り添って寝てたもんな、とか思う。
 やがてエンジンが切られたらしく軽い振動が止まって、前のカーテンからマネージャーさんが出てきて一番前の席にいる頭に声をかけるのが見える。それが終わるとマネージャーさんは引っ込んで、変わりにその話を聞いた人がくるっと自分を含めたみんなの眠る座席の列を振り向いた。

「(・・・起きてる人を捜してるのかな?)」

 保田がそれに立ち上がろうとしたとき、隣で寝ている後藤の脇を二つの影が通り抜けていった。まだ自分の眠気をしっかり冷ましていないせいで動作が遅れて、二つの影が前の座席に着いたところで話が始められてしまっていた。
 そして、話が終わったらしく、自分の横をすり抜けていった二人がカーテンを抜けて、窓から見下ろすとやっぱり仲よさそうに手をつないで駐車場を売店に向って歩いて行くところだった。

「・・・っ、と」

 保田が二人の危険なく売店まで入ったことを確認し終わったとき、前の座席で長い手が天井に向って二つ伸びるのが見えた。軽く声を出しながら、その腕が下りると肩をほぐそうとしているのか首がこりこり、と曲げられるところも見える。
 保田はそこでやっと意識もはっきりしてきたのもあって、隣の後藤を起こさないようにゆっくりと膝を越え、通路を忍び足で通り抜けた。

「お疲れさん」
「あ。圭ちゃん、起きてたんだ?」
「起きてたっていうか、起きたっていうか。圭織がいきなり体操始めるから」
「え? ウソ、本当? ごめんね」

 自分のでまかせを本気にしたらしく、目を思い切り大きく開いて飯田は保田に謝った。その様子があんまり必死だったもんで、保田は逆に目を細めながら「冗談だよ」と軽く肩を叩く。直後、そのすぐ背後で寝ていた矢口がアイマスクをつけたまま「うーん」といかにも邪魔そうな声を出したので、二人慌てて声を小さく縮こまった。

「・・・あのさ、隣。座っていい?」
「うん。じゃ、荷物どけるねー・・・」

 飯田は空席で、自分の荷物置き場にしていた通路側の座席を手早く空けた。保田はその席に腰を下ろす前に振り返ると、心配していた矢口も含めて、みなそれぞれにぐっすりと眠り込んでいる様子だった。
 座ると、飯田はさっき小川と紺野に説明したばかりの交通事情を保田に説明をした。どうも、先で事故があったらしいこと。道の途中で立ち往生するよりは、休憩をかねてしばらくここで時間を潰した方がよさそうであるということ。
 なるほどね、と保田は売店に向った二人のことを思い出す。

「他の人は? 起こさないことにするの?」
「うーん・・・それでもいいかな、って。みんないい気持ちで寝てるみたいだしさ」
「あとで『トイレにいきたーい!』とかわがまま言われるかもよ?」
「う。そっか。うー・・・どうしよ・・・」

 保田が突っ込むと、飯田はまた真剣に悩み始めた。おいおい、まったく。と、保田は手を口許にうつむく飯田の肩にまた手をかけた。んなわけないじゃん。だって今夜中に近い朝方だし、いくら遅れるっつったってこの先サービスエリアが全くないってわけでもないっしょ?

「みんなそこまで子供ってんじゃないしさ。ちょっと、しっかりしてよリーダー。信用してあげなさい?」
「あ、それもそうか。いやー、信用してないとかそういうんじゃないけど、なんとなく」
「あたしになんか言われただけで自分の決定曲げちゃダメよ? たくー」
「そっかなぁ。けどなんか、圭ちゃんに言われるとそんな気になっちゃうんだ」
「はい?」

 思わずちょっと大きな声が出た。慌てて二人同時に後ろを振り返る。みんなそんな声なんかちっとも気にしない様子で寝ていたけど、すぐ後ろの矢口だけがまたうるさそうに「うーん」を言った。二人席に戻りながら声のトーンを落として、さっきよりももっと肩を寄せる。

「まだ寝ぼけてるの? 圭織」
「起きてるよ。けど、本当なんだから仕方ないじゃない。圭ちゃんが助言すると、圭織は『そういうもんか』って思うの」
「仕方ないて・・・怖い人みたいじゃん。あたしは圭織の何さ」
「えーと、サブリーダー」
「はぁ・・・」

 もっともというか当たり前というか。飯田はそういうと満足そうに保田に笑顔を送った。保田は、くすぐったいような、変な気分になって肘掛に手をついて顎を乗せた。わざと、ふてぶてしい態度を取ってみたつもりである。

「それは・・・つまり。圭織が、あたしのことを『信用』している、て解釈してもいいわけ?」
「解釈もなにも、それ以外に意味はないんじゃない?」
「遠慮して聞いたの。はっきり聞くとなんか嫌味でしょ?」
「圭ちゃんて、時々よくわかんない言い方するね」

 もう! と、保田は息を吐いた。こういうことも一度や二度じゃないけど、圭織と話をしていると途中で煙に巻かれるというか、妙な感じになる。素直なのか複雑なのか、途中でよくわからなくなってしまうのだ。
 出会って間もないころは、そのバランスをよく理解しきることができないで、変に誤解したりとかもあったけど。今となっては懐かしい話だ。
 その頃のことを思い出して、保田は少し笑った。どうかした? と飯田。

「ううん。思えば圭織も随分大人になったなーって思ってさ。うん、いい感じに」
「年寄りむさくなったみたいな言い方しないの、お互い様なんだから。歳をとるのはみんな一緒でしょ?」
「けど、『かっこよく歳をとる』のは難しい。そうじゃない?」

 と、最近ちょっと話題にしていることを取り出してみた。気のせいではないと思うけど、20を過ぎてから急にそういう話をよくするようになった。そのときの決まり文句である。

「・・・できるのかな」
「何? 誰か目標がいるんじゃないの? 森高さんとか、松田聖子さんとか。あと、裕ちゃんとか」
「そんなふうになれるのかな。私達も」
「『なれるか?』 じゃなくて、『なる』んでしょ?」
「あはは・・・」
「ん?」

 急に笑い出した飯田に、保田は首を傾けた。飯田は、よく見るとまだとろんと眠そうな目をしていて、そのせいでちょっとテンションもいつもと違うのかもしれない。
 飯田は周囲に気も遣っているんだろう途中で笑うのを止めると、ほんの少しだけ真面目な目をして保田を見つめた。

「やっぱり、圭ちゃんがそう言うとそんな気がする」
「ん? サブリーダーは、仕事の上のことだけじゃないの?」
「仕事も、私生活も同じくらいのサブリーダー」
「公私混同だよ。それ」
「あ、ダメじゃん。私」

 そう言って、今度は二人で笑った。声をひそめているのもあって、くすくす、と笑うとお互いの額に触れるような距離だった。
 夜のせいか、バスの中っていう限られた空間のせいか。保田はまるで懐かしい修学旅行の夜とかの布団の中の会話みたいだな、と思った。
 そんな親密な感じを覚えながら保田がちらりと顔を上げると、飯田の背後のカーテンの隙間から、それまでとは違う、刺すような白い光が漏れるのが見えた。
 飯田に言うと、ちらり、と飯田はカーテンをまくってその光の先にあるものを見ようと確かめた。

「・・・わぁ・・・」
「すっごーい。何? あれ」

 バスの窓から見上げると、そこにはそれまで見たこともないくらいに大きな三日月が昇っていた。光もまるでぼんやりした昼間くらいまであるだろうか。白くて、冷ややかで、すごく清潔な感じのする、きれいな色をあたりに落としている。
 二人、しばらくその珍しい景色に見入って、顔を寄せるかのようにしてカーテンの影にいた。

「きれいだね。起きてて得した気分」
「うん。圭ちゃんとも話ができたし」
「やっぱ、ちょっと圭織テンションおかしい。今日」
「そっかなー・・・」

 だけど、本当にいつもとはちょっと違うような気がした。こんなふうに二人で並んでぼんやりするとか、最近はそんなにないことだったし。
 短かったけど、すごく相手のことを近く感じられるような、そんな夜だった。

「・・・あ!」
「ん?」
「何でもない。さっ、そろそろあたしも席に戻って寝直そうかな。圭織はもう眠くないの?」
「やー。どうだろ。もうちょっとしたら寝るかも。あー、あの二人そういえばまだ帰ってこないなぁ」

 飯田が携帯を取り出そうかとしたとき、席を立ち上がりかけた保田がその手を止めた。すぐ戻ってくるよ、と。
 言われるとおり、保田が席についていくらもしないうちに、「遅くなりましたー」と神妙な声をして二人が戻って来た。飯田に一言二言、とかけてそれから自分たちの席である保田の真後ろに戻ってくる。そこでまた飯田が前の席に声をかけると、車は最発車に車体を揺らした。

「・・・また、肩借りてもいい?」
「うん。私も寝ちゃうかも、だけど」

 背後でぼそぼそ、となされる会話を聞かないフリをしながら、保田はゆっくりと目を閉じた。おそらくはここに停車する前のように、(か、もしかしたらもっと仲良さそうに)寄り添っている二人を想像して少し微笑む。

「(いつか、あんたたちもこういう会話をするようになるのかな・・・)」

 圭ちゃん、そういう考え方、もう年寄りっぽい!
 ちらりと保田は前に座っている飯田の頭を見て思った。圭織ならそう突っ込むかもな、って。
 車は大きなカーブを描いて、それぞれの夢を乗せたまま朝の高速道路へ向って走り出していった。

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