19.押しかけ○○




 お疲れ様、という声がかかるが早いか、吉澤は控え室に飛び込んだ。着替えのために誰よりも先に更衣用の奥の部屋を陣取り、それもあっという間に済ませると、今度は鏡の前で髪の毛を直している。
 着替えの先を越された後藤がたいして急ぎもしない様子でのんびりと隣に腰掛けて、必死にお化粧を直している吉澤の顔を横から覗き込む。

「よっすぃ〜、どうしたの? 今日これから用事なの?」
「うんと、ね。ちょっと約束があってぇー」
「随分気合入ってるじゃん。もしかしてデート?」

 ぴたっ。
 と周囲の動きが止まった。
 数秒後に再び周りが動き始めて、全く周囲の動きも気にしてないらしく一生懸命眉を書き直していた吉澤は、一段落したのか後藤の方を振り返った。

「やだなぁ〜。そんなんじゃないよ。ただ、結構前からの約束だったから楽しみでさぁ」
「ふーん。誰と? 友達?」
「うーん。どうだろ。そんなとこなのかなぁ」

 曖昧な返事で吉澤らしくなく質問を濁した。
 後藤はその言い方に微妙にひっかかるものを感じつつ、それがなんなのか、と聞き返そうとした。のだけど。

「よし! じゃ、悪いけど今日はお先に。みんなも気をつけて帰ってね〜」
「え? ちょっと、まじで早すぎだよ。どこ行くの?」
「楽しいところだよぉ〜っ」

 と、変な歌を歌いながら吉澤は出て行ってしまった。
 ばたん、と扉が閉じてみんなは一同にそれぞれ顔を見合わせる。着替えの終わった人たちがわらわらと後藤の周りをとりかこむように集まってきた。

「あれ、どうしたの? 地に足がついてないって感じだよ?」
「いやー。後藤に聞かれても・・・」
「一番危ないのがよっすぃ〜だったりしてね」

 けらけら、と笑った一同であるが。実はそんなに朗らかに笑うというわけにはいかない。すぐについさっき出ていった扉の向こうを透かし見るようにみんなで視線を合わせる。
 一体、吉澤をあれだけ浮かれさせる人間というのは、誰なんだろう???


*****

 えーと、と吉澤は立ち寄ったコンビニで色々と食べ物の品定めをしていた。いくらお使いを頼まれているといっても、普段、自分一人で自分のためにする買い物だったら、こんなに沢山なんて買わない。つい、すぎるくらいに無駄遣いをしてしまう。
 一通りお菓子を選んで、それからふと見ると小さなおまけつきのチョコを発見する。

「(これ、絶対に気に入るな。うん、似合いそうだし)」

 と、ついでに買って、やっぱり飛ぶようにコンビニを出る。そこからはいくらも歩かないでたどり着ける道だし、焦ることもない。けれどもやっぱり向う足が速くなってしまうのは仕方がない。
 角を二つ曲がって、真っ直ぐ街の中を歩くと、やがて見慣れた建物が見えてくる。階段を上って、一つのドアの前で、一旦深呼吸をする。

「こんにちはぁ〜」
「げ! もう来たの? まじでぇ?」

 インターホン越しにそんな声が聞こえた。耳を澄ますと、ついでにどたばた、と通路を玄関に向って走る音。吉澤がその光景を想像しながら待っていると、いきなり目の前の扉が内側に開いた。

「はやいーっての。どうしたの? なんかあった?」
「ないですよー。ただ、時間がもったいなかったんで、急いで来ただけでーす」
「やれやれ。まさか、ずっとその顔でここまで来たの?」

 どうぞ、といわれて吉澤は玄関に上がりこんだ。買ってきたコンビニの袋を渡すと、「こんなに?」とやっぱり予想していたように驚く。見下ろす身長の小さな体がびっくりしたのが、吉澤には楽しく映った。
 市井が振り向くと、「おいおい」とまた困った顔をする。

「すんごい笑顔。今」
「そうですか? そんなに?」
「うん。よくそれでみんなにからかわれなかったね」
「からかう? まぁー、いいですよ。そんくらい、全然」

 市井がキッチンを抜けて袋を居間のテーブルに置くと、待っていたように吉澤がその背中に腕を回した。待てって、と慌てた声で市井が軽く肘を張った。

「いきなり何すんの! こらーっ」
「いいじゃないですか。だって、市井さん、かわいいし、かっけーし」
「そういう問題じゃなくって・・・」
「約束してくれてから、ずー――――っと、今日を楽しみにしてたんですよ? 吉澤はぁ」

 嫌がりつつも本気で抵抗しない市井のお腹のあたりで腕を組んで、寄せた身体で耳元にキスをした。市井は「もう」とか言いながらもしばらくはそれになされるままになっていた。
 ゆっくりとこめかみに鼻をくっつけて、耳朶を軽く噛んで、後ろから顎の骨に沿って唇を移動させる。小さく市井が声を漏らしたらしいのが聞こえて、そこで一度身体を離すと、前向きにしてきちんとキスをした。
 それが終わると、市井は吉澤の胸のあたりを押して身体を離させる。

「ちょっと、本当にここまで。先にご飯とかすることあるじゃん」
「後でもいいですよー。どうせ時間はたっぷりあるんだし」
「時間があるから、きちんと手順が必要なの!」

 と、女房みたいな口調で市井が言った。
 そう言われてしまうと逆らえなくって、吉澤は市井に言われたとおりにテーブルについた。
 先に作って待っていたという料理を並べる間、吉澤は足をぶらぶらとさせながらその様子をじっと観察する。
 ちょこまかと食事の支度をするその様子があんまりかわいくて、また頬がゆるみそうになってしまう。
 昔、ずっと前に憧れていたころは、もっとオトコマエな人だと思ってたんだけどね。

「思ったより早かったから、ちょっと煮込みが足りないかもしんない」
「市井さんが作るんなら、なんでもOKですよ。食べます食べます」
「調子いいんだから。たく」

 足りない、といいつつも結構そのビーフシチューはおいしかった。もっとも、別の料理でも、もうちょっと失敗しててもおいしいって思えたかもしれないけど。まぁ、それはそれ。
 食べ始めると意外とお腹が減っていたらしく、しばらく無言で吉澤はシチューを食べている。市井は途中で手を止めて、感心するようにその姿を見たりしている。
 吉澤が手元にある皿を空にすると、それに合わせたように頬杖をついて市井はふぅ、とため息をつく。

「どうかしましたか?」
「いやね。不思議なもんだ、とか思ってさ」
「全然不思議でもなんでもないですよ。吉澤はずっと市井さんのことが好きだったんですから」
「・・・また、そういうことを普通に言うし」

 確かに、その変なテンションと勢いに押されたのかな、とも思う。
 いきなり「話があります! 大事な話なんです!」とか言われて呼び出されたときには何が起きたのかと思ったけど。
 会ったばっかりのときは、もうちょっとしおらしい子かと思ってたんだけどね。

「だまされたー・・・」
「はい? 吉澤が、何か騙しました? 市井さんのこと」
「騙すつもりのないやつに騙されたー」

 と、テーブルに突っ伏す市井。吉澤から見えない角度でけれどもこっそりと微笑んでみたりもする。よくわかんないやつだってのは、今をもっても同じではあるけど。

「嫌ですか?」
「嫌じゃないよ。そんなに。ていうか、思ってたよりも」
「よかった。これで『嫌だ』って言われたら、結構ぐさっと来ますからね」

 吉澤は立ち上がると、座ったままの市井のそばにいってひざまずいた。笑顔で、テーブルの上の手をとると、なんどか優しいタッチでさする。
 市井が身体を起こすと、待っていたように今度は前向きに抱きしめた。

「食事もちゃんとしましたよ。これでいいですか?」
「いいっていうかさぁ・・・たく」
「待ってました。だから市井さん大好きです」

 ほんのり自分の作ったシチューの香りがして、唇が重なった。
 強引というか、子供っぽいというか、マイペースというか。謙虚なふりして結構わがままだったり。
 だけど、それも全部ひっくるめてやっぱりそんなに嫌って思ってないかもね。
 長いキスの途中で市井はそんなことを考えていた。ちょっと前までの、「自分からいかない恋愛は自分らしくない」なんて考えが一面的だったってことを思う。
 流されそうなペースにこうして頑張って反発しようとするのも、それはそれで楽しいから。

「いいですよね? もう」
「仕方ないな。けど、あとでお皿洗い手伝ってね」
「わかってますよ」

 立ち上がると、腰から持ち上げるように抱きかかえられた。ちょっと踊るかのように隣の部屋へと急ぐ。ベッドに倒れこむと、まっすぐ自分を見下ろす瞳が一対ある。

「『押しかけ女房』・・・ていうのかな。これって」
「女房? あ、うーん。そうなるんですかね」

 真面目に考えているのかいないのか、吉澤はそう言った市井の横顔にキスを始めた。

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