17.花畑牧場にて




 牧場の朝は早い。
 里田は慌ててベッドから飛び起きるとTシャツに長袖のシャツを羽織って、自分の部屋から飛び出した。日の長い夏が終わって寒くなり始めたこの季節、日に日に早起きが辛く思えてきたりもする。
 駆け出して横切った芝生の向こうに、もう作業を始めている二人の人影を見つけた。

「すみませーん。 遅れましたー」
「こらー。何度言ったらわかるの? 朝は大事な作業がたくさんあるんだから、遅れちゃダメでしょ」
「ごめんなさい。あ、これ運べばいいんですか」
「たくー、今度から気をつけてね。じゃ、お願いしていい?」

 はい、となるべく真剣に反省しているように聞こえる大きな声で返事をして、里田まいは荷車にのっけてある軍手をはめてエサを小屋に向って運び出した。
 体力には自信がないわけじゃないし、遅れた分を取り返さないと、と全力でダッシュする。

「あ! 里田ーっ。待ってー」
「え? 平気ですよ。重くないです」
「じゃなくて、それそっちじゃなくてこっちー」

 りんねはそう言って里田の走った方向とまるで逆方向を指差した。既に半分ほど駆け出してしまった里田は、その分無駄に体力を消費したことになる。
 大きくUターンして帰ってくると、あさみに「ごくろーさま」と同情まじりの声をかけられた。

「しっかりしてるように見えて、意外と抜けてるよね。まいちゃんは」
「そう・・・ですかね。いえ、すみません。焦ってたんで」
「でも、言われたことはしっかりやってくれるし。一生懸命だからいいと思うけどね」

 呆れたように持っていた喋るに顎を乗せていうあさみに、りんねはそう言って笑顔を向ける。里田は、というと、持っていく方向を間違えたことよりも、フォローまじりにそう言ってくれたことにちょっと照れてしまう。なんというか、歳の近いあさみに比べて、年上のりんねにそういう大人な態度をとられてしまうと、嬉しいよりもはずかしいって気持ちになってしまうのだ。

「じゃ、こっちですね。運んでおきます」
「急いで転ばないようにね」
「はーい。まかせてください」

 くるっと身体を反転させて里田は走り出した。後ろで二人笑う声が聞こえる。その声を聞きながら里田はさっき感じだ気持ちをなんだろうかと考えてみる。ここで働くようになってしばらくするのに、まだ3人仲良く、というわけにはいかないし。
 きっと、それは仕事に対しての姿勢なんじゃないかという気がした。
 もちろん、りんねに比べてあさみが仕事を不真面目にやっているからとかではなくって、やっぱり経験というか、いろいろあったからというか。
 この場所をすごく大事にしてるんだろうな、っていうのをここに来ていくらもしないうちに感じていた。・・・と、いつかここに来たばかりの時に、あさみが話してくれたことがあった。その意味も今の自分にならよくわかる。
 怒るとか必要以上にきつい言葉をかけるってわけじゃないから尚更、なんだろう。出来心でこっそりさぼったり、手抜きをしたりした時にじっと見られたり声をかけられたりすると、ものすごく悪いことをしてしまったみたいに恥ずかしく思えたりしてしまう。

「(そういうのも、人徳っていうのかな・・・)」

 いつか、本当に褒めてもらえるようになれたらな、とも思った。そのためには・・・まずは寝坊のクセを直さないと。
 いつもの夜明けがいつものように明けようとしていた。


*****


 お昼ご飯が終わって、ちょっとくつろぐ時間になったころだった。
 皿洗い当番の里田が食器を鼻歌まじりに丁寧に布巾で拭いているところへ、いきなり背後から「けほけほ」と、乾いた席をする声がした。

「りんねさん? どうかしましたか? 具合が悪いとか?」
「うーん。実は今朝からちょっと熱っぽくてさ。この辺に風邪薬ってあったよね」

 はい、と里田は持っていた食器を一旦置いて、食器棚の横にある薬箱を取り出した。怪我はわりとよくやるんだけど、風邪となると実はそんなによくあることじゃない。食生活とかがいいからだと思う。
 里田は手早く中を探って出てきた薬の期限を確かめて封を開いた。渡す前に、同じ薬箱の中にあった水銀の体温計のキャップも抜いた。

「熱っぽいなら、測ってみたらどうですか? 時間見てますよ」
「えー。大したことないと思うけど・・・」
「や、そういう時が一番危ないんです。ま、参考程度だと思って、ね?」

 強引に子供を諭すように里田は体温計をりんねの腋の下に入れさせる。実は全然そんな知識ないんだけど脈なんてとるフリもしながら数分待って取り出してみた体温計は・・・。
 39度を指していた。

「ちょっと、冗談じゃないですよ。どうしてそんなんで仕事できてたんですか!」
「いやー。そうだね、あはははは」
「あはは、じゃないです。さっ、こっちに来てください。早く横にならないと」
「あ、いやそのっ。ちょっと里田ー」

 なぜかそこまでの証拠が挙がっていながら抵抗するりんねを無理やり部屋に押し込んで、里田はちょうど戻って来たあさみにその事情を説明した。
 あさみはその話に最初びっくりしたようだったけど、「あー」と意味深な顔で顎を撫でた。

「何か心当たりとかあるの?」
「心当たりっていうか・・・実は昨日見たんだ。夜中に」
「夜中?!」

 ウソ! と何か里田が言いかけると、誤解されたことがわかったのか、あさみが「違う違う」と首を大きく横に振る。
 そこで話してくれたことによると、昨日偶然いつもよりもちょっと遅めに起きていた自分がふと窓の外を見ると、夜になると全部消すはずなのに、奥の小屋の一つがぼんやりと明るかったんだという。
 不審に思って眠気と戦いつつもその灯りをしばらく観察していたところ、ふと人影が何か忘れ物でもとりに行ったのか小屋の影から出てきた。
 それが、どうもりんねだったような気がした、と。

「けど、『美容と健康には早く寝るのが一番』て言ってるわけだし、そんないかがわしいことのために起きているわけないと思うんだけどねー」
「だったら、本人に聞いてみた方がいいんじゃないかな」
「へ?」
「そんな、そのせいで体調崩すくらいなんでしょ? はっきりさせた方がいいよ、絶対」

 と、やや及び腰なあさみの手を引いてりんねの部屋へと入る。ちょうど着替え終わったりんねが、布団に入ろうとしていたところだった。
 きょとん、と不思議そうに並んで部屋に入ってくる二人を、熱で潤んだ目で振り返った。



*****


 と、牧場の夜には似合わない遅い夜。
 はーくしょいっ、と里田は思わず大きなクシャミをしてしまった。
 隣のあさみがそれにやれやれ、とティッシュを差し出して、小屋の奥から予備のために持ってきた毛布を里田に渡した。
 思いのほか冷える今夜、二人は持ち込んだ暖かいコーヒーといくつかの防寒具、それとわずかな懐中電灯の明かりで、小屋の隅で待機していた。することになってしまっていた。

「しっかし、まいちゃんてあれだね。意外と度胸あるっていうかさぁ。よくそこで直接聞き出そうなって発想をするよね」
「だって、気にならない? あのりんねさんが、だよ?」

 大事な牧場の業務に支障をきたすくらいに熱中していたことだ。心配とかもあるけど、それより好奇心が沸きあがったのが先だった。
 本当は、もうちょっと浮いた話かもって期待もなかったわけじゃなかったんだけどさ。
 里田はポットからコーヒーを注ぎ、一つをあさみに手渡した。自分の分もいれて一口すする。湯気が夜の景色に立ち込めて、その先にあるのは小さな蕾を傾けたナデシコの花。
 ただ、花壇の広さに比べてその草の占める割合は非常に少ない。ぽつぽつ、と閑散と生えている他は荒らされたように土が掘り返してある。

「・・・こんなところに花壇があったなんてなぁ」
「あさみちゃんも知らなかったんだっけ?」
「うん。今まで教えてもらってなかった。こっそり育ててたんだね」

 あさみはその咲く直前だろう花を遠い目で見つめた。里田は何も言わなかったけど、ちょっとショックを受けてるようでもあった。
 そうだろう。今まで何もかも知り尽くしていたはずの牧場の片隅に、こんな秘密の花園があったなんて。
 そして、それまで二人で頑張ってきたはずのりんねに、そのことをひたかくしにされてきたなんて。
 里田はややもすると湿っぽくなりそうな会話の流れを止めるために、と立ち上がると花壇に入り込んだ。しゃがんで、無事な花をよく観察してみると、一見大丈夫そうに見えるそれらも、いくつかは一度折れたり傷ついたりしたものをなんとか修復したかのようである。
 夜な夜な、そこまでして守ってきたこの花壇の秘密とその意味。里田は昼間のりんねの話をもう一度思い出しながら立ち上がった。

「・・・やめちゃうんだよね。りんね」
「うん。そうなんだよね」

 昼間熱っぽい目をして話してくれた話。
 この花壇は、この牧場に最初に来たときに、その時みんなで作った場所だったんだという。
 三人で頑張っていこうって、約束して、一緒に種を植えたんだって。今まで、そのことを言おうと思ったこともあったけど、うまくタイミングがつかめなくて、ついつい内緒のまま今になってしまったってこと。
 もしかしたら、こうして自分が育てることができるのは、今年が最後かもしれないって思っていたんだけど、そうもいかないかもしれなくなった。ここ最近、この花壇に「何か」が入り込んで、土を踏み荒らしているらしいというのだ。
 せめて、今年くらいはこの花を咲かせたい、と思って蕾ができてから毎夜遅くまで見張りをしていたのだけど、そのせいか体調を崩してしまった。だけど、花を咲かせたい。どうしても。
 里田は、話が終わると同時に自分の胸をどん、と叩いた。

「詳しいことはよくわからないけど・・・大変だったんだよね」
「うん。やっぱり、今までこうして頑張ってきたのって、すごいことだと思うよ」

 夜更けを回っただろうか。
 ますます大気はひんやりと温度を落としている。里田は吸い込まれそうなほどに澄んだ空を見上げて息を吐き出す。自分、ちっちゃいなぁ、とかいう考えがふと頭をよぎったりもして。

「明日もさ、きっとりんねは寝てるだろうし。うちらもちょっと休む?」
「見張りは? あ、交代にすればいいのか」

 ジャンケンで順番を決めて、先にあさみ、夜明けからは自分ということにして、里田は後ろの小屋の寝袋に身体をもそもそと入れた。
 一応申し訳なさそうに目を合わせると、「寝坊しないでね」と冗談ぽく言われた。
 寒いかな、と寝袋に入る前には思ったけど。入ってみたらまるでストンとおっこちるみたいにあっさりと眠気は襲ってきた。



*****


「・・・起きて。ね、まいちゃん」
「んー・・・」

 しまった、また寝坊だろうか。と、里田は何度かゆすられてはっと目を覚ました。きょろきょろ、と見回すものの、まだあたりは暗い。そして、寒い。
 寝袋の上にかけていた毛布を手繰り寄せて、里田はそれに身体をくるんで小屋の外に出た。
 うすく夜明け前の霧がかかっていて、視界を悪くしている。
 あれ? 交代で起こしたんじゃなかったの? とようやく晴れかけた頭で思いついた。けど、あさみは自分の前に立っていて、案内でもするように先を歩いている。
 何かを尋ねようとするも、まるで歩き方からして音と気配を隠すようでもあったので、里田は黙って静かにその後に続いた。しばらく歩いたところだろうか。花壇からやや外れた木陰で、あさみは立ち止まる。

「あれ。見て」
「ん? 何か・・・花壇の中に・・・?」

 それを見たとき、びっくりして声を上げそうになってしまった。けど、その反応も予想済みだったのか、あさみに「しっ!」と口を押さえられる。
 じっと暗闇に目が慣れるのを待って見つめた先、誰かがしゃがむように花の周りに集まっている。
 四つんばいで、首をかしげて匂いをかいで、終わると手際よく次へと順番を譲っている。大きな影があり、小さな影もあり。

「犬・・・? いや、馬? ううん、牛?」
「ねー。どっから抜け出して来たんだろ。今度念入りにチェックしなおす必要があるね」

 牧場の動物の有志が、順に花の周りを訪れているらしい。入れ替わり立ち代り、花に顔を寄せて様子を確かめて、それがまだ咲かないのを確認して立ち去って行く。
 丁寧に足元を気をつけているらしいけど、数の多さと、ちょっとのうっかりとで、花壇の残り少ない花を避けた部分では踏み荒らしたような足跡が残ってしまっている。
 これだったんだ、と里田があさみを振り返ると、同じことを思ったのかあさみが頷いた。

「気づいてたんだね。あの子たちはさ。そんで、この花が咲くのを待ってたんだ」
「気にしすぎて荒らしちゃってることも、気がつかなかったのかな」

 りんねさんは、一人でここを守ってきたんだって、そう思っていたのかもしれないけど、そうじゃなかったんだね。
 りんねさんが大事に思ってたものを、ここのみんなもちゃんと大事に思っていたんだね。
 列になった動物達が一匹、二匹と引き上げて、やがて最後の一頭がいなくなったところで、待っていたかのように霧が晴れはじめた。
 朝が近づいて、二人は花壇にゆっくりと近づいて見る。
 なんとなく、そうじゃないかって気がしてたけど。

「これ、りんねさんにも見せてあげないとね」
「うん。そんで、ここ。また来年も咲かせられるように、頑張ろうね」

 小さなナデシコの花は、朝の光の下。ピンク色に花弁を広げて蕾を開いた姿を二人に見せてくれていた。

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