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16.キンモクセイ
部屋に入った瞬間から、ふわっと何か懐かしいような香りがしてた。
芳香剤とかじゃなくって、確かに本物の花の香りだっていうのはわかるけど、それが何という種類のものかすぐに思い出せない。
後藤はいよいよ気になって、怪訝そうな顔を上に向けつつ宙に鼻をくんくん、と嗅がせた。保田がそこへ紅茶を入れたカップを持って後ろから現れる。保田の部屋である。
「・・・けーちゃん? それどうしたの? もらってきたの?」
「うん。沢山花が来たじゃない? その中にちょっとだけあったからさ」
殺風景な保田の部屋が、なぜか華やかな印象に変わったようにも思う。ワイングラスにミネラルウォーターを張って、その中にちょこんと枝が刺してあった。
オレンジ色の、小さな洋服の柄ほどの大きさでもある小さな花だ。
「あー。これかぁ、えと・・・キンモクセイ?」
「そ。きれいでしょ? 花瓶がないのが残念だけど」
保田はそう言ってベッドサイドにグラスを置いた。ほんの一枝、大きさにしたら握りこぶしほどもないのだけど、それでも部屋中にしっかりと独特の香りで満たしている。
花粉が飛ぶわけでもなし。後藤はふぅ、と息を吸い込んだ。
「けど、普段『枯れた時がめんどくさーい』とか言ってそんなことしないじゃん? なんで今日だけそういうことしたの?」
「何でかな? なんとなく。秋って感じがするでしょ?」
9月に入ってしばらくして、ようやく秋らしい雰囲気にもなってきた季節だ。それこそ夏の強烈な熱さがようやくなくなった、っていう程度の足早な季節感しかなかったもんだけど。
保田は立ち上がって指先で小さな花びらを持ち上げて弄ぶ。
「これさ、匂いがかなり強烈だったんだ」
「そうだろうね。そんな感じするもん」
「沢山花はあったのに、その中でもこれだけは『違う』って思えるくらいなんだもん。こんなちっさいのに、すごいよね」
「うん。すごいねー」
後藤は保田の指の上でおとなしくしているオレンジの花弁を見ながら、手元のまだ湯気の出ている紅茶を口に含んだ。強烈な香りのせいか、味まで少しいつもとは違うようにも思う。
保田はちょいちょい、と花の咲く向きを整えると、のんびりと後藤の座っているテーブルの向か側へと移動してきた。
自分の分のカップを持ち上げて同じように一口飲む。
「けどさ、あっという間なんだよね。この花が咲いてる時間て」
「ふーん。なんか他の花がしぼんでもまだ残ってそうな感じもするのにね」
「一見しぶとそうにもね、確かに。でも、もって2〜3日ってとこなんだって」
「枯れるの?」
「落ちるの。静かに音もなく」
保田が振り返ってその花を仰ぐ。後藤も、同じように視線を上に向ける。風のない部屋で静かに咲いているその花が、数日後にぽとっと落ちているところを想像してみた。
些細なことのようでもあり、だけど大事件のようでもあり。
「まぁ、でもさ。その花も頑張って咲いているわけだし。落ちてもそれで終わりとかじゃなくって来年も再来年も咲くわけでしょ? そしたら仕方ないし、別にいいんじゃないかな」
「そうはね、あたしも思うけど。うん・・・」
そんなつもりもなかったけど、ちょっ会話が沈みがちだったので、後藤なりに気を遣って言ってみた台詞だったのだけど、保田はなぜか寂しそうに受け答えた。
部屋中を間違えたらむせ返りそうにしてしまうほどの強い香り。
だけど、他の同じような香りの強い花たちに比べてなぜか涼しげで、冷静な印象も与える気もする。香り自体は確かに華やかであるはずなのに。
「ここんとこ忘れてたみたいんなんだよね。子供の時とかさ、この香りがすると『秋だな』って思ってたはずなのに」
「そういえば、後藤もそうかも」
「不思議なんだけどさ、花束の中にこれがあるの見つけたらさ、どうしてももって帰らないといけないような気持ちになって」
「なんでだろうね。思い出とか思い出したんじゃなくて?」
「そういうんでもなさそうな・・・」
保田は席を立った。グラスを手にとって、ゆっくりと後藤の所へと持って来る。きらきら、とグラスの中の水にオレンジの色を跳ね返して少し眩しい。
「ちょっとさ、似てるかなーって」
「似てる? 何がぁ?」
「後藤に。この花が?」
後藤はきょとんと目を丸くした。
だって、そんなこと唐突に言われても、ねぇ? しかも言い出した相手が・・・
「あんた、今『何似合わないこと言い出すんだろ』とか思ったでしょ」
「思ってないよー・・・多分」
「多分てなにさ」
自分で先回りして突っ込みをした保田だったが、実際後藤もそう思った。ただ、正確に言うなら「似合わない」っていう表現よりも、「意外」って言い方をした方が適当かもしれない。色々な意味を含めて。
「似合わないって言えばそうかもしれないけど、いやー・・・けど、案外そうでもないかなぁ」
「何がどう『そうでもない』の?」
「そういうこと言い出すのも、圭ちゃんくらいしかいないかなって」
「褒めてんの?」
「うー・・・多分」
うん。きっと、別の人だったらもっと違う花に後藤のこと似てるって言うような気がする。少なくとも、この花見てそんな直感的に後藤のこと連想するのも、圭ちゃんくらいなんじゃないだろうか。
自惚れとかじゃなくって、だって自分でもそう思うから。
後藤がそんなどう表現していいかわからないようなことにしばし頭を悩ませていると、保田は何も言わなくてもわかってるような顔つきで花の先をまた指先でつついた。
目を細めて、次には後藤の鼻先を同じようにつつく。
「秋ってことなんだね。これがここにあるっていうのは」
「そりゃそうだ、あ?」
「来年咲いたとき、また同じようにきれいな香りをしてるよね」
「まー。多分ね、きっと」
「今日は『多分』が多いね」
「だってしょうがないじゃん。圭ちゃんがなんかいつもとちょっと違うぽいし」
ふてくされたように頬を膨らませると、保田はその頬を軽くつねって空気を抜いた。ぶぅ、と息を吐いたところで、保田はまたグラスをもって立ち上がる。
同じように、ベッドルームのサイドテーブルの上におとなしくのせにかかる。幾度かその角度を調整して、きれいにライトがあたるようにしたところで、保田はふと後藤を振り返って手を伸ばした。
おいで、と手招きしたので、後藤は飲んでいたカップを置いてそのベッドルームへと入る。手でさされるままベッドの上の隣に腰掛けると、キンモクセイの花はきれいに咲き誇っている。
「花言葉とか、なんだろうね。これの」
「調べてもらったよ。あたしも気になったからさ」
「ふぅん。何?」
言い出したはずの保田がちょっと笑った。
隣の後藤の手を握って、じっと横からその顔を覗き込む。
「『あなたは高潔です』って」
「・・・かっこいいね。そうなんだ」
他のどの花とも違う、個性的な香り。
その香りがするだけで、嗅いだ人たちに沢山のことを思い出させるような、そんな存在感がある。華やかなんだけど、ちょっと冷静だったり。
酔うような香りに、保田の肩に頭を乗せてみる。保田が肩に手を回すと、後藤はゆっくりと目を閉じた。
「今、こうしてることも、来年またこの花の香りがしたとき思い出すかな」
「そうかもね。あたしは多分、きっと」
「・・・今度は圭ちゃんが『多分』だね」
きっとその頃にはもっときれいになって。
後藤は思いっきり寄せた体で保田の首筋のあたりに額をくっつけるようにして、もう一度その香りを思い切り吸い込んだ。
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