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7.インターチェンジ
ぐらっと、腰のあたりが揺れて、小川は一瞬倒れそうになった身体を立て直した。
寝ぼけまなこで倒したシートから上半身を起こして、斜めに傾きながら徐々にスピードを落とす車体の中を見回した。
オレンジ色の室内灯で見た中はしん、としていて数人目をこすっている以外はそれぞれアイマスクやサングラスをしてまだ夢の続きを見ているようだ。
小川は窓際の自分の席から、カーテンを指でまくって、さっきまではのっぺりとした高速道路の壁とトンネルしか見えなかったはずの景色を見ようとしてみた。暗い空の下、バスは駐車場を横切って、24時間営業のサービスエリアに入ろうと進路を左にしたところだった。
「・・・んー」
「あ、あさ美ちゃん。起きた?」
「あ、ごめん! 肩重たかった?」
さっきまで自分の隣で同じようにぐっすり眠っていた紺野が止まりかけた車の気配で目を覚ましたのか、あわてて小川から身体を離した。
小川もさっき目が覚めたときに気がついたんだけど、それまで紺野は自分の方に身体を倒して、寄り添うように眠っていたらしい。
紺野はついでに小川の肩口をこすって、何かそそうがなかったかと必死に頭を下げている。
「んー、全然平気だよ。私もさっきまでぐーっすり寝てたしさ。疲れてたもんね」
「そう? 本当にごめんね」
それに、本心を言えば嫌っていうよりはむしろその反対だったりもしたし。
二人が小声でそんな会話をしていると、そこで運転手さんと会話をしたあとらしいマネージャーさんがカーテンの向こうからみんなのいる場所へと入って来た。目を覚ました飯田となにやら耳打ちして、そこで飯田が振り返ってみんなの様子を見る。きょろきょろ、と誰か起きている人を捜すようなまなざしを察して、小川と紺野は静かに手を上げた。気がついた飯田が「こっちこい」と手招きをする
座席前へと移動したところ、どうやら起きていたのはその二人だけらしく、後にはだれもついてこない。
「どうしたんですか? 飯田さん」
「あのね、ちょっとこの先事故で道が混んでるから、このサービスエリアで時間を潰した方がいいんじゃないかって。運転手さんが」
「えっ! 長くかかるんでしょうか?」
「さぁー。けど、夜だし、交通量は少ないからま、かかって何十分くらいじゃないかって」
事故、と聞いて不安そうに小川と紺野は顔を見合わせた。飯田はその不安を取り除こうとしてくれているのか笑顔で、二人の肩と頭を軽く触った。
「それでね、トイレ休憩をかねて、ここでしばらく停まるって。けどね・・・」
「みなさん、まだ眠ってますね」
「ま、時間が時間だし。起きてる人だけでもいっかな。これが最後の休憩になるみたいだし。外、出たくない?」
「あー。ちょっと出たいですね。肩こっちゃって」
「出てもいいよ。ただし、夜だからね。気をつけて。それに、寒いから」
「はいっ。わかりました」
「飯田さんは? 出ないんですか?」
飯田はそこで二人の後ろに控えている残り大勢のメンバーの寝顔に目を細めた。それと、かなり真っ暗な夜明け前のバスの外の風景も。
「私は、まだいいかな。これから誰か起きたらそのこと教えないといけないし」
「いいんですか? 誰か起こしたら・・・」
「いいよ。疲れてるのはみんな同じ、でしょ?」
言われて、飯田は二人にカーテンをまくった先にある出入り口を指した。さすがだな、と思いながら小川は先にそこを抜けて、横に開いた出口のステップに足を下ろした。紺野も続いて降りてくる。
暗いから、と先に下りた小川が手を伸ばして、それに紺野が手を乗せた。
「飯田さんに、何かお土産買っていこうね」
「あ、そうだね。麻琴ちゃん、いいこと言うー」
紺野に素直に褒められて照れながら、小川は自分の頭を掻いた。そこで気がついたんだけど、さっきバスから降りたとき握った手がまだそのままになっている。
バス用の駐車場からサービスエリアまではちょっと距離があって、肌寒い空気の空に、瞬くように駐車場の周囲に丸く配置された電灯が、きれいに道を彩ってくれているかのようにも見えた。
「何買おっか。ジュースにする?」
「うーん。お菓子とかさ、限定品なんかないかな」
たどり着いたサービスエリアはやっぱり時間のせいか人もまばらで、一応機能しているらしい簡易食堂の人も眠そうである。
ぱらぱらといるお客さんもほとんどが長距離の運転手さん風で、自分たちが明らかに浮いていることにもいやがおうにも気がつく。小声で二人選ぶ会話をしていると、カウンターで頭を伏せていた男の人がちらっと顔を上げたりしてしまって、それにびっくりした二人はその時手に持っていたちょっとしたお菓子とジュースをさっさとレジでお金を払うと、逃げるようにして店の出口に向ってしまった。
「飯田さんの分、どうしようーっ? 買えなかったよー」
「あ、大丈夫。あそこ! そこに自動販売機があるよ。ほら」
と、紺野が店からちょっと脇に出た場所に並んでいる自販機を見つけて小川の先に立って走った。ガサガサと音を立てるビニールを下げて小川はその背中を追いながら、そんなせわしない買い物がもうすぐ終わってしまうことがちょっぴり惜しいような、そんな気持ちにもなる。
しかしながらこっちこっち、と走ろうとしない小川を急かして、対照的に紺野は一人自販機の前で飯田に買おうとする飲み物を一生懸命選んでいる。
「ね、飯田さんてこのお茶好きだったっけ。それともこっち? どう思う? 麻琴ちゃん」
「うーんとね、こっちのやつは確か今日の夕ご飯の時飲んでたみたいだったけど」
「へぇーっ。よく見てるんだね。すごーい」
「別にいつも見てるわけじゃないよ。今日はたまたま・・・」
紺野がそこでそのお茶を選んでボタンを押している。小川はなんとはなしにそれを待っている間に半分外に出た通路から空を見上げていた。ふぅ、と吐き出した息がうっすらと白くて、それを見て確認したせいでか寒さにぶるっと身体を震わせた。思わずジャケットの前のチャックを合わせて首まで引き上げる。
と、そこへ後ろから一本の缶が差し出された。
「はい! 麻琴ちゃん」
「へ? 何、え? これって?」
「さっき重たかったお詫び。ね、この紅茶、麻琴ちゃん好きだったよね」
「あ・・・うん。でもそんな・・・」
ちょっと黙ってしまう。
返すべきなのか、返ってそうすると失礼かな、と小川はどぎまぎと手の中にある缶の紅茶を転がす。外の寒い空気が流れ込んできていて、手のひらの中の缶が熱いくらいだ。
どうしよっかな・・・。確かさっきの飯田さんの話だと、そんな急いで発車ってわけでもなかったし・・・。けど、寒いし、このままここに引き止めるってのも・・・理由がないし・・・。
次の会話に迷いながら、なんとはなしにきょとんとした紺野を前に二人で向かい合っていた、そんな時だった。
「あっ! ねぇねぇ。麻琴ちゃん、あれ!」
「うん?」
小川が次の言葉を見つけるよりも先に、紺野はあさっての方向に駆け出してしまった。駐車場とは反対の、昼間であればちょっとした遊び道具のある公園になっているらしい芝生の上である。
あまりにもその行動が唐突で、小川が遅れて走り出すと、紺野は芝生の真ん中にあるベンチのそばでそれもまた突然に立ち止まった。
息切れをしながらやっとのことで追いついて小川が隣に並ぶと、「ほらほら」と楽しそうに小川の手を引いた紺野が、頭の上に指をさした。
「何、どうかしたの? そんなに急いで」
「だって、さっきさぁ。麻琴ちゃんの後ろ、すっごいきれいだったから」
「きれい?」
「いいからさ。上見て、上!」
紺野が興奮するように指を空に向ってつっつくものだから、小川もそれに押されて自分も宙を見上げた。そして、紺野が顔を紅くしていた理由を瞬時に悟る。
「うわっ・・・」
「ね、『明けの明星』って言うんじゃない。あれ、授業でやったよね」
「う・・・。あ、そーだっけ? あははは・・・」
真夜中をだいぶ回った朝近く、そこには普段からは信じられないくらい大きな三日月が昇っていた。 そういえば、そんなことを先生が言っていたような、そんな気がしないでもない。確か、「朝、一番太陽に近い月が、すごく大きく見える」っていう。
「じゃ、今が一番お月様は太陽のそばにいる、ってことだよね」
「うん。そっか・・・」
なんでだろうかその言葉に、ちょっと小川は胸がきゅっとなった。他には誰もいない、普段なら滅多に起きていることのないこの時間に、二人だけでその月を見ているってことが、とても特別なことを共有しているような、そんな気分でもあった。
それは、多分きっと。
「なんとなく嬉しい。私」
「うん。珍しいもんね、こんな大きな月見るのってさ。私も新潟にいたとき以来・・・」
「そうじゃなくて! ・・・ってそれもあるけど、それだけじゃなくて」
並んで芝生に座って、その月を見上げていると、紺野がそんなことを言い出した。珍しく強めな否定の声に小川がちょっとびっくりめに隣を見たとき、紺野は恥ずかしそうに、気のせいか顔を紅くしてうつむいていた。
「今、二人だけで見てるっていうのがさ、麻琴ちゃんだから」
「え? な、何が?」
「・・・。嬉しいの。変?」
「あ? ・・・っと、その・・・」
急に小川は自分の顔が赤くなるのを感じた。さっきまで寒くてジャケットに半分突っ込むようにしていたはずなのに、今は外に出してもまだ暑いくらいに火照ってる。
だって、そんな突然言われても・・・。いや、その、だから。嫌とか、そーいうわけでは決してなくって。だから、そのぉ・・・。
それでもその気持ちをはっきり口にできない小川はもごもご、と紺野を横にしながら口の中でなにか呟くだけである。
「(私も・・・その・・・)」
「・・・そろそろ、帰ろっか」
「へ!?」
「だって、あんまり遅くなると飯田さんに迷惑かかちゃいそうだし。それに、寒いし」
「あ、そう。だね。うん」
チャンスだった、んじゃないの?
と、心の中で誰かが言ったような気もした。けど、そうと気がついたときにはもう遅い。
紺野は先に芝生から立ち上がると、服についた葉っぱを払う作業に入ってしまっていた。もはや他にする術なし、と小川も思ってのろのろ、と腰を起した。
やれやれ、と同じようにお尻の土を払っていると、こつんと指先が自分の長いジャケットに触れて、そこに入っていた缶を揺らした。
取り出すと同時に歩き出そうとしている紺野を呼び止めた。
「あ、これ! あさ美ちゃん!」
「ん。いーよ、それ。麻琴ちゃんにあげたんだから、飲んで」
「そういうわけにはいかないって。やっぱさぁ」
小川は数歩で追いつくと、缶を勢いよく開いた。まだほんのりと温かいお茶を自分が飲む前にと、差し出して紺野に勧めた。
「寒いのはあさ美ちゃんも同じ! ね、これは今度は私から。受け取って」
「・・・麻琴ちゃん?」
「あさ美ちゃんが飲まないなら、私もこれは飲まないからね」
と、できるだけの笑顔で渡そうとする。紺野は差し出してきた小川の手のひらを、外側から包むようにして握っていた。
少し、何かを考えているような仕草があって、それからすぐ。
「・・・じゃ、一口もらっていい?」
「うん。そうしてくれないと、私もなんだか悪くてさ」
「ありがと。麻琴ちゃん、あのね・・・」
それまではっきりとした声で話をしていたはずの紺野が急にそこで声を小さくした。小川が反射的にその声を聞こうと耳を寄せようとした時。
一瞬の不意をついて、紺野の顔が近づいたと思うと、唇に柔らかい感触があった。
まるで間違いだったとも、気のせいだったともいえる素早さで顔が離れて、それから紺野は小川の手のひらごとお茶を一口だけ飲んで笑った。
「私、麻琴ちゃんのそういう優しいところ。大好きだよ」
「・・・あ。は、あは、あははは・・・」
「さっ。本当に帰らないとそろそろ怒られちゃう。早く行こう!」
手を握られて、バスへと夜明けの駐車場を二人で走る。
明けの明星は短い間だったけど、もう朝の光に消えそうになってしまっている。
小川は自分の手の中にある缶の中身がこぼれそうになることとか、おそらくは紺野が持ったままの飯田へのお茶が冷めてしまっているかもしれないこととか。
色々気にはなっていながらも、ただ真っ赤な顔をなんとかバスにたどり着く前には冷まさなきゃ、と必死だった。
バスに着いて、車内に乗り込む直前。
明るくなりはじめた空で、これから進む道の方向を見て深呼吸すると、そこにはこれから下りるだろうインターチェンジの曲がった道が遠めに見えた。
それは、まっすぐな高速道路から飛び出た、朝もやの中に似合ったきれいな曲線を描いているようでもあった。
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