2.ハグ




 じりじり、と背中に気配を感じつつ、吉澤は目の前の辻の話に相づちを打った。夢中で学校での出来事を伝えようとしている話は実のところあまり要領のよい内容ではないのだけど、今日は特にそれを突っ込もうとは思わない。
 どちらかというと、集中しているのは自分の背後。
 背中の向こう、数メートル。
 そこで、しっかりとした声で楽しげに会話をしているその人のことである。

「ちょっとー。やめてよ圭ちゃんてばー」
「なんだよー。嫌がんなくてもいいじゃんかー。矢口ー」
「ほらー。圭ちゃん。やぐっつぁん本気で嫌そうだからさ」

 吉澤は振り向かないでその声に耳タブを大きく膨らませた。
 徐々に声が大きくなってきているらしいその様子では、こっちに近づいているんだ、と予想できる。ちらっと辻に目をやったけど、自分の話に一生懸命なのか、辻はその様子には全く気づいていない様子。

「もうっ。これから矢口打ち合わせ行かないといけないんだから離れてよ」
「ちえーっ。じゃ、いいよ、ごっちゃんにするから」
「うわわわわ・・・」

 一つ足音が遠くに向って小さくなって、もう一つはこっちに向って大きくなった。その大きくなった方が、いよいよ自分のすぐそばに来たのを察する。

「よっすぃ〜っ。助けて〜っ」
「なんだよー。なんで後藤まで逃げるんだよー」

 よし来た! と吉澤はくるっと後ろを振り返った。
 するとそこには予想していた通り、部屋の出口に向かう矢口の背中と、慌てて駆けてくる後藤。その後藤の後ろで追いかけて手を伸ばす・・・

「保田さーん。ダメですよ、ほら! ごっちんがっ!」
「ごっちん、やすらさんにつかまったらだめらよ」
「やばーっ。退避っ」

 後藤が吉澤の横をすり抜けて辻に抱きついて後ろに回った。おもしろそうに笑う辻が、保田にヘン顔を向ける。
 保田は仲間はずれにされたことに悲しそうな表情をした。
 吉澤はその両方を順に見て、それからエヘンと咳払いをする。

「まったくもー。保田さん、どうして嫌がるごっちんに抱きつこうとするんですか?」
「嫌がってる? そうなの?」
「そうだよー、だ」
「いやにきまってるよーら」

 ふざけた態度の後藤と辻。
 吉澤はやれやれ、と肩をすくめて今度は保田を見た。

「あのですね。吉澤が思うに、圭ちゃんはちょっと誰かれ構わず抱きつきすぎたと思うわけですよ」
「そうかなー? だって、さ・・・」
「だってじゃありません!」

 吉澤がびしっと指を伸ばして保田の目の前に出した。後藤と辻は、何を言い出すのかまるで予想もできない風で、吉澤を後ろから傍観している。

「いいですか? 相手には、都合があります。わかりますね?」
「はいはい」
「抱きつかれて、嬉しい人と、嫌な人がいること。それもわかりますね?」
「あー、そうだね。はいはい」
「それじゃ、嫌がる人と、嬉しい人。どっちに抱きついたらいいと思いますか?」
「はぁ?」

 そこで保田がきょとんと後ろの後藤と辻に目で合図を送った。
 全くよくわかりません、というのを目で訴える辻と、なんとなく不穏な空気を察し始めたらしい後藤。
 保田は、自分がもしかしたら踏み込んではいけない場所に足を入れてしまったのかも、と思った。覚悟を決めて返事をする。

「・・・嬉しい人の方」
「よろしい。それなら、話が早いと思いませんか?」
「(どこがどう早いんだろうか・・・)」
「嬉しいと思う人にだけ、保田さんは抱きついていればいいというわけです」
「でもさー。よっすぃ〜。そんな人っているの?」
「つじも、それがもんだいらとおもうけど」

 後藤と辻の一言に、吉澤がきっと振り向いて目で制した。その隙に保田はあたりを見回す。不幸なことにちょうど辺りには他に暇そうにしている人間がいない。

「保田さん!」
「は、はいっ!!」
「何の遠慮もいらないですよ。さぁっ!」
「『さぁ!』・・・って言われても・・・」
「全くもうー」

 吉澤ががばっと両腕を前に広げた。
 その仕草があまりにも突然で保田が一瞬後ろに飛びのいてしまいそうなくらいだった。
 助けを求めようと保田が吉澤の背後にいる後藤と辻に目を走らせると、じりじりと二人でその場から逃げようとしていたところだった。

「後藤っ! 逃げんなっ。こらーっ」
「だって後藤には関係ないし。よっすぃ〜、じゃ、またねー」
「待ってーっ。あーっ、あ、吉澤。その、あたしこれから圭織と話が・・・」
「保田さん?」

 うっ、と二人の後を追ってさりげなくその場を立ち去ろうとした保田であったものの、すぐにストップがかけられた。
 おそるおそる振り返ると、そこでは吉澤が息もかかるかというところで立って自分を見下ろしている。

「遠慮しなくていいって言ってるのに、どうして逃げるんですか?」
「そのー。逃げようとかそういうんじゃなくって、だから・・・」
「吉澤のことは嫌いなんですか?」
「そうとは言ってないし・・・」
「吉澤が『いい』って言っているのに、吉澤には抱きつけないということなんですか?」
「ちょ、ちょっと吉澤落ち着いて・・・ひゃあっ!」

 言葉途中で、保田は吉澤にいきなり抱きつかれた。
 しかも、思いっきり強烈で熱烈な抱擁だったりもして、バランスを崩したら今にも押し倒してしまいそうな勢いだ。

「保田さぁ〜んっ」
「よ、吉澤。冷静になれっ。こ、ここはその! だから人が沢山っ」
「照れなくってもいいですよぉーっ。吉澤には遠慮しなくてもいいですからー」

 後藤と辻はその頃無事にその場から避難していた。
 まだ熱のこもったハグをしている吉澤とほとんど宙吊りにされた保田の姿を見ながら、ポットから飲み物を注いだ。

「ねぇ、ごっちん」
「何? 辻」
「さっきのよっすぃ〜なんらけど、あれって・・・」
「んー。あ、あれね。違うの、きっと」

 後藤は、冷静に口に入れた氷の塊を噛み砕きながら不思議そうな顔をしている辻に説明をした。

「あれは、けーちゃんがあんまり色んな人にくっつくから、よっすぃ〜がお仕置きを考えたんだよ」
「あ、そうなんだ。そうらよねー、いくらなんでもやすらさんにまさかねぇ〜」

 もしそうじゃないとしたら、とか・・・。
 ま、それはそれでもいっか。
 無責任に後藤は思った。
 そして、辻はそこで納得したらしく、食べ物のある方に走って行ってしまった。
 気のせいか、後にして来た部屋から、保田のものらしい悲鳴が聞こえたようにも思った。

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