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1.緑の目
矢口がちょこんと座った居間で、手持ち無沙汰にテーブルの上を眺めたとき、そこに見慣れない指ほどの大きさのおもちゃフィギュアがあることに気がついた。派手な色の体に、大きくデフォルメされた緑色の瞳。
そういえば時期流行の映画で、あるモンスターが主役の物語をやっていたっけ、というのを思い出す。
矢口はまだその映画を見に行ったわけではなかったけど、それはそれなりに話題だったので、その机の上に置いてある人形がその登場人物だということにすぐ気がついた。
そのずんぐりむっくりした妙に愛嬌のある姿を見て、許可も得ないでそれをテーブルからとりあげた。
「圭ちゃーん。どったの? これ? こんなところに出しっぱなしでいいのー?」
「あ、そっか。そうだったっけ、忘れてた」
保田は矢口が手に持っているその人形を覗き込むようにして隣に並んで立った。
そこは保田の部屋で、今日は珍しく二人一緒に買い物をして、食事をしたあと、流れ出ついてきてしまったという状況である。
途中のコンビニで買ってきたペットボトルを飲むべく保田は棚から出したグラスをテーブルに置いて、その人形を取り上げようとしてみたのだけど、矢口はなんとなく手放す気になれなくって、そのまま自分の方へと引き寄せた。
そういえば、宣伝とかに書いてあったことだと・・・
「これってさぁ、確か観に行った先着千名様とかのプレゼントじゃなかったっけ?」
「うん。そうなんだ。あたしもまさかもらえるとは思ってなかったんだけど」
「へぇー・・・。いつ行ったの?」
「えと、先週の夜。かな? レイトでやるって誘われたもんだから」
ふん、と矢口はその人形を持ち上げて電灯にすかした。
プラスチックの体が塗料を光に透かして、目の前を蛍光の緑に染める。
たく、わかってないかもしんないけど、圭ちゃん。
今の矢口の質問、誘導尋問なんだからね。
「じゃ、一緒に行った人もこれと同じのもらえたんだ」
「いやー。それが一人一人違うらしくってさ。石川はこれじゃなくって、主人公のライバルの影法師みたいな格好のを持っていったんだ」
あっさりと引っかかって誰と行ったかを白状している保田。
矢口は表情をこわばらせつつも笑って、またモンスターの顔を覗き込む。
「ふーん。じゃ、配る人も考えて渡してたのかもねー」
「ん? そりゃどういう意味?」
「来た人にさぁ、似てる人形をわざざあげてたんじゃないかってこと」
きょとん、とよく意味がわからないというふうに保田は目を丸くした。矢口は意地悪っぽく人形の顔を保田に向けると、保田は「そうかなー」と矢口の嫌味に気がつかない様子でしげしげと顔を観察している。
「ていうかさぁー、これって圭ちゃんの兄弟とかじゃないの?」
「はい?」
「圭ちゃんの星の人の話だったんじゃない? そもそもその映画」
「あ、あぁー」
ぽん、と手を叩いて保田は「やっと意味がわかった」風に笑った。おいおい、あんたのこと言ったんだよ、と矢口は突っ込みたくもなる。
こういうとき、いつも自分で思うのだけど、ついつい調子に乗ってしまうのは悪いクセだ。
「おもしろかったでしょ。映画」
「うん! それがさぁー、普通ああいうのって子供向けかなって思うじゃない? けど全然そうじゃなくって。まずその手に持ってるモンスターっていうのが最初すごーく嫉妬深い性格してるんだけど・・・」
矢口の質問の真意はどこへやら、保田は一週間前に観たというその映画の内容について熱く語りだした。矢口は拍子抜けしたように、最初はうんうん、と頷いていたのだけど、やがて相手にわかるような態度でちょっとしらけ気味にペットボトルのフタに手をかけた。
「あ! ご、ごめん。矢口」
「んー。なんで? 別にぃ」
矢口はつんとすましてお茶を自分のグラスに入れる。
そうだよ。ここに矢口がいるっていうのに、どうしてそういう話になるのかなぁ。大体、そんな夜遅くに映画に行ったなんて話、矢口は初めて聞いたっての。
「だって・・・ほら」
「何だよー。ちゃんと言えー」
「・・・ネタバレしちゃう、じゃない?」
がくっ、と矢口はこけそうになってしまった。
あくまで平然としている保田にほんのちょっとだけ腹が立って、矢口はまた人形を見た。少し、意地悪なことを言いたい、そんな気分。
「・・・たくー。最近石川も毒されて来てるからなぁ」
「毒? 何にだよ。おいおい」
「だってさぁ、圭ちゃんとよく付き合うようになったじゃない? そんでさ、一緒にこんな人形もらってきたりしてさ。ダメだよ、圭ちゃん。石川をよその世界に連れていかないでくれる? かわいそうだからさ」
ははは、と矢口は自分でそう言って笑った。
言ってから、ちらっと保田の顔を見ると、反論するわけでもなくにっこりと微笑んでる。矢口はそれを見てほんのちょっと胸が痛んだ気がした。
なんとなく目を合わせづらくて見下ろしたテーブルの上では、さっきまで握り締めていた緑の目の怪物がいる。
「・・・よく、行くの? 本当に?」
「何。あ、映画のこと? 石川と?」
「うん・・・」
矢口がしぼみそうな声で頷くと、保田は「そうだなー」と長い時間をかけてそれまでの映画遍歴を思い出しているようだった。それから結論として、「最近はよく行くかも」と言った。
「・・・どうなるの? それで、このモンスター」
「えっとね。いい? ネタバレだけど」
「いいよ。どうせ忙しくて矢口は観にいけないだろうし。先に知りたい」
「じゃ、教えるね。その子は、実は本当はすごく優しいんだけど・・・」
保田はそこまで話して止めた。思い直して矢口を見て、それから今度こそ人形を取り上げる。
丁寧にテーブルに立たせて、それから矢口を上目に微笑んだ。
「やっぱ教えない」
「なんで? どーして? そこまで話ふっておいてさ」
「観た方が絶対におもしろいからさ。うん」
「だから忙しいって言ってるじゃん・・・」
せっかくのチャンスも、矢口じゃない人と行ったんでしょ?
そう思ったけれど、言わない。保田はまた長く考え込むようにしてテーブルの上を見つめて、まるで本当にその人形と目で会話をしているかのようだった。
「じゃ、こうしよ。あたし、このDVD出たらすぐ買うから、そん時矢口と一緒に見る」
「はい? ちょっとー、勝手に人の予定決めないでくれる?」
と、言ったけど、言って数秒もしないうちに口許がにやけた。
それを隠すために、そっぽを向きながら保田の腕のあたりを叩く。保田は満足そうにそう決めた予定に目を細めた。
人形を持ち上げて「ねー。決まり!」なんて話かけてたりもしてる。
矢口はそれでもまだ素直になれなくて、「やだなぁー」なんて心にもないことをぶつぶつ言いながらその様子を見ていた。
ふと、保田が人形を持ったまま矢口を振り返った。
「実はさ、これ。最初にあたしがもらったやつじゃないんだ」
「ん? そ、そうなんだ・・・」
「石川にわがまま言ってね、交換してもらったんだ。どうしてもこっちの人形が欲しくってさ」
と、緑色の瞳のモンスターを矢口の顔の隣に並べた。そんで、こんなことを言い出す。
「矢口に、ちょっと似てるな、って思ったから」
「! ちょ、何てことをねぇ・・・」
「意地っ張りで、口が悪くて、素直じゃなかったりするのに、実はすごくきれいな心を持ってたりするんだよ。この子」
矢口は目を丸くした。
びっくりして、一瞬動きが固まって。それからかぁっと頬が一気に赤くなった。
「な、な、な・・・。突然何を言い出すんだ。君はっ」
「わー。矢口、すごい顔真っ赤」
「うっさいなぁっ。圭ちゃんが突然変なこと言い出すからだろっ」
矢口がムキになって何度かまた保田の肩を叩いて、それからぷいっと背中を向けた。悔しいくらいにまだ顔が紅く熱を持っているのがわかる。
後ろでコトン、とテーブルに人形を置いたらしい音がして、それからふわっと気配が近づいたのがわかって、背中から腕を回された。
「今度は、絶対矢口のこと誘うから」
「・・・ん・・・。けど、あ、いや。いいよ・・・別に・・・」
くすくす、とそう言った矢口の耳元に保田の笑う声が聞こえた。さっきまでと立場が一気に形勢逆転したことがわかったけど、不思議と嫌な気分じゃなかった。
「ほらね。素直じゃない」
「・・・」
どこまで本気なのか、保田がからかうように後ろから矢口の頬のあたりにキスをした。
必死に頬が赤くなるのを食い止めようと矢口は抱きつかれた体を自分からちょっとそらすようにしてみた。
ちらり、とさっきのモンスターが視界の隅を横切る。
おかしいな。矢口は本当はすごく素直なのにな。
まだくっついたままの保田に「石川は『全然似てないですよ!』って言い張ってたんだけどね」という台詞を聞いて、ちょっとだけ納得した。
「(矢口は、圭ちゃん限定のモンスターなんだよ。多分)」
嫉妬しちゃったり、素直になれなかったり、ついきついことを言ってしまったり。
それはきっとそういうことなんだよ。
そう思って見たテーブルのモンスターは、確かに自分にちょっと似ているようにも思えなくもなかった。
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