10.Blanket




 背後がもぞもぞ、と奇妙に動いて、すぐに温かいものが背中に触れた。
 保田はある程度予想ができたいたこともあって、ぎゅっと毛布を顔の前でつかんで身体を丸める。一分の隙も見せるものか! という防御体勢である。

「けーいーちゃん。起きてよー」
「・・・・・・。」
「こらぁー。起きろって言ってるんだぞ」

 また、もぞもぞと後ろで気配が動いた。こりこり、と背中を引っかくように爪を軽く立てて、それでも保田が反応してくれないのがわかると、今度は何か文字のようなものを書き始めた。

「ちょっとー。いくらなんでも本当に寝ててもこれに反応しないってことはないでしょ? 芝居下手すぎー」
「・・・うーん(怒)」
「その芝居も下手ーっ。いい加減にしてよ」

 ぱしっ、と背中をちょっと強めに叩かれた。保田はどうしようか、と思うけれども、たとえフリでも寝ていたことにしていた方がまだ傷口は浅くて済むことはわかっているので何も言わない。
 ガラの悪い小言を背後でぶつぶつと言いながら後ろの人はまた保田の背中を引っかく作業に戻っている。時々不吉な単語も聞こえるけど、保田は聞かざるでぐっとまた手のひらを握った。

「起きないつもりなら、あなたのご家族の健康に気をつけなさい」
「不注意で、事故って起きるものなんだよね」
「今後の人間関係はどうなっても構わないつもりなのかなぁ。噂って簡単に伝わるよ」

 とかなんとか。
 だけどそんな脅しに乗るわけにはいかない。だって、もし起きていることを相手に知らせたりなんてしたら・・・。

「ねぇーっ。いい加減に相手してよ。圭ちゃんてばぁ」

 しびれを切らしたのか、がばっと上に覆い被さってきた。顔を覗き込むようにしたとき、ふわりと鼻の奥をくすぐるような色っぽい香りと、柔らかい唇の感触を横顔に感じる。
 どばっと汗が吹き出そうになって、保田は思わず唇を守るように自分の歯の中へと丸め込む。相手は、それを見てか見ないでか、じっと顎を保田の肩に乗せたまま動かなかった。
 そんな沈黙をやりすごして、その後に出てきた一言。ものすごくしおらしい声色で、耳元に流し込むかのように。こう。

「起きて・・・ないの? くれないの?」

 一瞬動きかける気持ちをぐいっと引き止める。見え透いた手に乗るか、と自分に言い聞かせる。
 だって、どう考えてもおかしい。
 そもそも、そんなに普段仲良く接しているわけでもない石黒がこうして時々自分の家を突然訪れるということからしておかしい。
 今日がはじめてというわけではなく、これまで何度かあったアタックはなんとかやりすごしてきた。それも決まってめちゃくちゃに近い理由で、例えば、飲んで終電に間に合わないから泊めて、とか。ちょっと今家でバルサン炊いてるから寄らせてとか。それこそ偶然に断った一番最初の時とかは信じそうになったけど、そういうことではないってことをすぐに悟れるほど、浅はかなウソの羅列を相手にしてきたのだ。
 やりすごし、時にはこちらもウソをつき、一宿というボーダーラインだけは踏み越えないようにしてきた(あるいは他に誰かを間に挟むようにしてきた)けど、今夜はいよいよピンチだ。
 勝手にあがりこんで適当に持ち込んだお酒なんて飲んで、先に寝た(フリをしていた)自分に今こうしてしつこいくらいに迫ってくる。
 それはきっと行き当たりじゃなくって、きっと意図的に、恣意的に、確信を持って行われていることなんだ。・・・あたし一人をターゲットにして。

「圭ちゃん。私は一応枯れてもお客で、そんで年上なわけ。それをさぁ、ちょっと自分ひどいことをしてるって思わない?」
「(勝手に転がり込んだんだろ? 他に沢山彩っぺなら行くところあるじゃん)」
「一人の友人の、悩み話も聞く耳もたないくらい冷たい人なの? 圭ちゃん?」
「(本気で相談したいって思ってる人の態度なの? そんなに酔っ払ってて?)」
「・・・意地悪」

 すごんだり、突然弱気な声を出したり。とても普段大勢の中では気を遣う立場にいる人とは思えないくらいにわがままに。
 保田は最後のまた弱気になった声にぴく、と身体を反応させそうになってしまった。いよいよばれたか、と思ったけどそのことには何も触れないで、保田の肩に寄せていた顔を石黒は離して、保田のかぶっていた毛布からも身体を出したようだった。
 さすがに微妙に罪悪感が胸の中で芽を出し始める。

「いいよーだ。圭ちゃんなんて。ふん」
「(寝る・・・のかな?)」
「勝手にしろ、ってことでしょ。だったら私は勝手にするよ」

 立ち上がった気配がして、すぐに迷いなくパチン、と部屋の電気が消された音がした。同時に瞼を通してうっすら見えていた光が消える。
 やれやれ、このままおとなしく寝てくれるのかな、と思う。
 自分が先に寝る、と宣言した時にはもうベッドの下にお客さん用の布団は敷いたはずだし、そのまま寝るには困らないはず・・・だったんだけど。

「・・・?」

 何か背後でするすると音がする。保田は目を閉じたままその音が何なのかと眉をしかめて耳をそばだてる。だけどここで振り向くわけにはいかないのでじっとその音の正体がおとなしくなるのを待つ。
 待っていると、また背後でする、とかぶっている毛布の端が引き上げられた感じがした。
 最初の時と同じく、温かい何かが背中に触れる。

「!」

 ぎょっ、とさすがに保田は背中を反り返らせた。逃がさないように、と毛布の下で滑るように背中から肩をなぞる指先の感覚。
 ぎりぎり壁際に追い詰められると、そこでぴったりと身体を密着させられてしまった。
 しかし、あろうことか、それは。

「どうしたの? もう動くのやめたの?」
「! あ・・・」
「いいよ。ずっと寝てることにしてもさ」

 首の後ろに手を這わせて、うなじのあたりを髪の毛の下をまくるようにして指が動いている。ぞくぞく、と強く目を閉じたくなるような感じ。ゆっくりとそれが髪の毛を横に掻き分けて、首筋を剥き出しの状態になるまで丁寧にどけると、もったいつけるようにキスをされた。
 いよいよ限界かもしれない。保田は思って自分の首のあたりに巻きつけてある相手の二の腕のあたりに手を伸ばした。つるりと、柔らかい肌の感触。

「彩・・・。なんで・・・?」
「うん? 今の、寝言かな? そうだよね、圭ちゃん寝てるんだもんねー」

 後ろから手を回されて、器用な手つきでパジャマのボタンを外される。反論も抵抗も、全力でやろうと思えばできないことではないかもしれない。けれども、そんなことは許さない、とでも言いたそうなくらいの強気でじっくりと一枚一枚と服を取り除く作業をしている。
 肩から滑らせるがごとく、保田のパジャマを腕から引き抜くと、背中に改めて胸をくっつける。相手は、するまでもないくらいに正真正銘の地肌。
 柔らかい乳房が背中に押しあてられることに不思議に身体を疼かせていると、指先が保田のお腹を上下に撫で始めていた。

「圭ちゃん、胸大きいんだよね。一度こうして触って確かめてみたかったんだ」
「彩っぺ・・・。冷静に、冷静に・・・」
「どうせこれは夢みたいなもんなんだよね? 圭ちゃんにとっては」

 背骨に沿って唇をなぞらせて、下履きにも手をかけられた。毛布の下へと潜られてすぐ、あっというまにそれも取り去られて、もうなす術もない。肩に手をかけられて、ごろりと上向きにと引っ張られると、次には乗っかられ見下ろされていた。
 保田のいる下方にうつむきかけて、ばさっと目の前にかぶさった長い髪の毛を、いかにもうざったそうに、けどすごく色っぽくかき上げる。

「人がこうして来てるんだから、理由くらい先に予想しなさい」
「・・・?」
「私が、圭ちゃんのことをどう思ってるか、全くわかんないなんて言わせないんだからね」

 覗きこむように顔を寄せて、首をかすかに傾ける。
 唇が触れるか触れないか、というところでぴたりと動きを止められると、また保田は鼻先を柔らかい香りにくすぐられる。これからされるかもしれないことを思うと、ぎゅっと強く目を閉じた。

「ちょっとでいいからさ・・・」

 唇が触れた。最初にちょっとだけ触れて、その時かすかに震えているのがわかってなぜかほっとして。二度目にはそれより少し長く、三度目はそれよりもさらに長く。何度かにわけてキスをした。
 最初から、本当は抵抗とかするつもりなかったんだ。保田は5度目のようやく舌を使ったキスをしている途中に思った。
 今まで石黒が自分の家に強引に押しかけようとしてきたとき、何をしてもらいたがってたかとかも、本当は全部わかってたんだ。

「・・・慰めてよ。人が寂しがってるときくらいはさ」
「(やっぱりね)」

 無言で、自分の腰の上に乗っている体に手のひらをあてた。身体をずらすように下げさせて、保田は背中に遠慮しながらも腕をまわした。ほう、と小さく安心したため息があって、石黒の吐息が耳元に触れる。

「(・・・慰めるのはいいよ。かまわない・・・けど)」

 普段はきっと、ちょっと強がって、大人のフリしてて。だけど、上手に自分の気持ち伝えるってことって難しいよね。それで傷ついたりすることもあるよね。
 なんとなくだけど、あたしにはそれがわかるってこと、彩っぺも気がついていたんだよね。多分、ほんのちょっと性格とか似てるところがあるから。
 だから、あたしのところに来ようとしてたんだよね。

「(・・・けど、彩っぺにとってあたしは、それ以上の人じゃないんだよね)」

 抱きしめた腕に力を入れると、ふと背後に誰かの顔が浮かんだ気がした。自分じゃなくて、本当に石黒が気を遣っているだろう何人かの顔。
 それを思うと切なくなって、もうちょっと抱きしめる腕に力をこめた。

「・・・夢だよね。これって」

 呟いた保田の頬に石黒がキスをした。
 黙って、「そうだよ」って声にしないで告げる細い息。保田は物分りよく頷いて石黒の動きに合わせて首を横に傾けた。

 夢だと思えば戻ることはできるよね。
 忘れることもできるよね。
 ・・・できれば、見たくない夢だったけど。

 どうしてそれまで自分が意地でも石黒を自分の家に入れたくないって思っていたか、今になって保田は自覚することができた。
 さっきまで防御のためにと自分を覆っていた毛布がベッドの足元に落ちる音が聞こえた。

←BACK

SEO対策 ショッピングカート レンタルサーバー /テキスト広告 アクセス解析 無料ホームページ ライブチャット ブログ