5.愛を探してる




 今だから言えるけど、もし「ちょっと危ないかもなぁ・・・」とか少しでも思うことがあったら、そう思ったところで何かしておく方がいい。
 そうしなかったのは利口じゃなかったって悔やみたくなかったら。

*****

 ずきずき、と奥の方から響いてくるみたいな頭痛に保田は目を醒ました。自分の鼓動に合わせて波打ってくるみたいな強烈な感じに自分の額を押さえようとしたけど、その瞬間がしっと何かに手首を止められる。
 辺りはしんとして、真っ暗でがらんとした部屋。あと一歩で混乱しそうになるところをぐっと我慢して、保田は自分の手元を見た。
 部屋の真ん中らへんで椅子に座っている自分は、後ろ手に縛られていて、簡単にほどける様子ではない。腰も同じく椅子にロープを回してあって、完璧に固定されているという感じだ。
 耳を澄ませて何かの気配を探ろうとしても、怖くなるくらい「しん」と静まり返っているだけである。

「・・・誰か、いないの・・・いませんか?」

 なぜか敬語で保田は声を出してみた。しばらくそれに対する反応を探るものの、やっぱり気配はさっきと変わらない。喉が渇いているせいか声もいつも聞きなれている自分の声とはまるで違ったようにも聞こえてますます無気味な感じである。
 少しでもそれをまぎらわすためにぐっと唾を飲み込んで、保田はもう一度声を出してみた。

「おーいっ。誰か? いるんでしょ? おいってばぁーっ、いし・・・」

 そこではっと気がつく、今、無意識にしろ呼ぼうとした名前のことを思って、ざっと背中の毛が逆立つような気がした。
 そうだ、自分は、確か意識を失う前まで一緒にいたはずなんだ。最後に見た顔も確か・・・

「ただいまーっ。今帰りましたよーっ」

 鍵のシリンダーが外側から回る音。それが内側からもう一度回された音がして、やがてぱたぱた、と暗い廊下を自分のいる部屋に向って走ってくる足音が聞こえる。
 勢いを落とさないまま、その足音はまっすぐに部屋の扉を抜けてきた。
 電灯をつけない暗闇の中、自分の足元へとその声の主が滑り込む。

「保田さん! ちゃんとお留守番してましたか?」
「石川・・・。これ、どういうこ・・・」
「もぉーっ。大変だったんですからね。今日一日」

 石川は保田の質問には答えないで、持ってきたらしいビニール袋から何かいい匂いのするものを取り出した。完全に締め切った部屋ではよく見えないのだけど、おそらくはなにがしの食べ物。

「はい! 保田さん、お腹減ったでしょう? 保田さんの好きなもの、沢山買って来ました」

 その言葉がウソではないらしい香りを鼻先で感じると、保田は思わず生唾を飲み込んだ。どれくらいここでこうしていたのかわからないけれども、改めて前に出されると空腹で内臓から締付けられるような感じだ。
 だけど、そこで素直に喜べるなんて状況じゃないだろう?

「お酒もあります。保田さん、きっとそろそろ飲みたがっているんじゃないかなーって思って」
「あ、あのさ。石川、ちょっと待って・・・」
「まずは飲みましょう? 石川もお腹が減ってるんですよ」

 ぷしゅ、と炭酸のはじける音。やがて口許にその缶の端っこを当てられる。保田はそれでもこの状況の異常さをなんとか挽回しようと顔をねじってそれを避けようとした。

「やだなぁ、どうしたんですか? どこかお体の具合でも悪いんですか?」
「石川、あんたね・・・」
「あ。わかりました。石川に飲ませてもらいたいんでしょう。そう言ってくれればいいのに」

 え? と言う前に、うっすらと石川の影が開けたばかりの缶を口許に流すのが見えた。そして、すぐに冷えた缶を持っていた、湿った冷たい指先が保田の頬にあてられる。
 ぐっと、舌でこじあけられるように、口移しでぬるいビールが乾いた喉に流れ込んできた。
 しかし両腕が動かない上に強引に上を向かされる格好のために、喉を抜ける前に気管に入り込んで保田は大きくむせてしまう。
 そうでなくても本能が全身全霊で「飲んじゃいけない」って言ってるみたいだ。

「保田さん、大丈夫ですか? 今拭いてあげます」
「(げほっ)、い、いしが・・・」

 やだなぁ、と石川は反芻されたビールをなにも厭うことなく台所から持ってきたらしいタオルで拭った。それでもしばらく咳はおさまらず、ぜいぜい、と保田は苦しげに喉を鳴らす。

「大丈夫ですよ。保田さん、安心してください」

 と、石川がびっしょりと濡れてしまった保田の胸元にタオルを当てながら、吐息もかかるほどの距離でぼそっと呟く。

「今のには、何も入ってなんていませんから」

 は? は?
 保田がぞっとする間もなく、石川はタオルをどけて、何かを探しているのかポケットの中を探って、何かを手のひらの上に取り出した。

「せっかくご飯を買ってきたんですけど、お洋服も汚れちゃったし、後にしましょうか?」
「な、何を・・・」
「石川、今日ここに帰って来るまで、一日本当にドキドキして過ごしたんですよ」

 ぱちん、と小気味の良い音がする。暗闇にようやく目が慣れてきたのか、わずかなカーテンの隙間からの灯りに石川のシルエットが見える。その手元のあたりで、光が跳ね返っている。

「おとなしくしてくださいね。すぐにすみますから・・・」
「ひっ・・・」
「大丈夫ですよ。石川は、保田さんを傷つけたりなんて、絶対にしません」

 絶対に、と小さく繰り返して、石川はその光を保田の首筋にあてた。ぴたっとひんやりした金属の感じがした、と同時にびり、と首筋で布の裂ける音。
 プツプツプツ、と順に繊維一本一本が切れる順に耳に入って、保田はその光った筋が10数センチほどの折りたたみナイフらしいことをさとった。しかも、切り口は半端じゃなく鋭い。
 やがて保田の着ていた綿のシャツ首からまっすぐ裾までが裂かれ、片方の胸が露にされる形で肩からぶら下がった。

「次は後ろです。動かないでください」
「う・・・」

 動こうったって、もう体はすくみ上がっていて指先を動かすのも冷や汗でびっしょりになってしまう。背中中央付近で前と同じように首から裾を裂き終わったシャツはそのまま石川の手を離れると、後ろに縛られた保田の手の付け根のあたりにずり下ろされた。
 おそらく光がそこにあったら見えただろう、情けないことに保田は座って身動きのできないまま上半身を下着一枚という格好にされてしまった。

「ふふふ・・・」
「何が、おかしいんだよ。石川。こんなことして、何が楽しいんだ」
「だって、保田さん。こうやってると、まるで、石川が、」

 ぴた、と背中のブラ線の内側にナイフを当てられる。くっ、と保田が叫びそうになるのをこらえると、満足そうに後ろで笑う石川の声がまた聞こえた。

「『保田さん』て果物の皮むきをしてるみたいな、そんな気持ちになるんですよ」
「ふざけん・・・」
「きっと、普段何気なく剥いてるリンゴさんとかも、同じ気分なんでしょうね」

 ぷつ、とさっきよりも大きな音がして、最後に残っていた下着もあっさりと断ち切られた。今度はご丁寧にも四箇所で切って完全に体から取り外す。
 完全に上半身が無防備になったのを見て、石川は「寒いですか? 今部屋の温度少し上げますね」なんてエアコンのスイッチまで入れてくれる。

「どういうつもりなの?」
「『どう?』って。何がですか?」
「あんた、最近ちょっと様子がおかしいって思ってたけど。それにしてもこれはちょっと悪ふざけがすぎるんじゃないの?」
「おかしくなんてないですよ? 石川は全然。おかしいのは、むしろ、保田さんの方でしょう?」

 石川はナイフを畳んで自分のポケットの中にしまうと、前に回って座っている保田の膝の上に頭を乗せた。
 いつも甘える仕草をするときにはやっていた体勢。
 昨日までは、保田もその髪の毛を撫でてあげていた、そのはずなのに。

「保田さんがいけないんです。急に『お互いに距離をおいた方がいい』なんて言い出すから」
「それは・・・だから、何度も説明したじゃないか」

 いつごろからと言ったら、数ヶ月くらい前からその前兆はあったような気はする。
 最初はどっちから誘ったかというと実のところ自信がないのだけど、とにかくそのくらいの時期から石川と「恋人」として付き合いだした。
 最初は「お互い迷惑にならないように、節度を持って」とか言い合って順調な関係だったはずなのに。キスをして、一緒に寝て。
 関係が進むにつれて、段々と保田の中ではちょっとした違和感を感じるようになってきていた。

「こういうことって、あんまり公にしない方がいいことだし。それに最近石川、他に人がいるのに変に絡んだりして、矢口とか・・・疑ってたよ。だからさ」
「ああ、矢口さんですか・・・」
「どういう意味だよ。なんだよ、どうして笑うんだよ」
「それなら心配ありません。矢口さんには、もう完全にばれてますから」
「・・・っ!」
「覚えてます? 一昨日、控え室で保田さん、私としたでしょう?」
「・・・」
「あの時、後ろのついたてのところに矢口さん、いたんです。気づきませんでした?」
「!」

 休憩時間中で、ちょうど運良く(かどうかは今となっては確信がもてないのだけど)二人一緒になったということで、石川が控え室後ろのロッカーのところで、って誘ってきたんだった。
 誰か来るかもしれないっていう状況はちょっと怖かったけど、石川が強固に「大丈夫」を繰り返すもんだからそれなりにたっぷりと気分を乗せてコトに及んだっていうのに。
 ロケーションの記憶では、自分たちがいたのは椅子の部屋の奥の洗面台の手前。
 小さい矢口のこと、いたとしたらそのまた奥の人数の多い時用のついたての後ろということになる。

「それが本当なら・・・その、ほとんど布一枚で?」
「はい。保田さん、途中で声出してそのついたての柱にしがみつくから、石川はびっくりしてたんですよ。矢口さんも、よく我慢してましたね」

 それで昨日となんとなくよそよそしいような感じだったのか。保田は顔を紅くして舌打ちした。よりにもよって、矢口なんて。多分誰にも相談できないで今ごろは悩んでいることだろう。恥ずかしさもあるけど、それ以上に罪悪感がこみ上げてきて吐きそうだ。

「それを・・・石川は知ってて?」
「はい。先に衣装の裁縫の具合悪いって控え室で昔の衣装捜しに行ったの、見てましたから」
「なんで・・・。どうしてそういうこと・・・」
「口で言っても信じてもらえなかったからですよ。その方が早いって思ったし」

 石川が保田の膝の上に頭を乗せたまま、指先でつつ、と腿のあたりをなぞった。じれったくなぞるような力加減は、明らかに誘っている。保田はぐっと痺れそうになる頭の後ろに力を入れた。
 けど、石川はそこでふと顔を上にむけると、裸の胸元越しに保田の顔を窺ってきた。ぼんやり遠くを見ているような目はどこか夢見ごこちにも見える。

「したく、なってきました? 今」
「冗談。話はまだ終わってないよ。まだ、聞きたいことはたくさんあるんだ・・・っ」

 石川が台詞途中の保田の体に指を滑らせた。相変わらずスピードものろく、腰から腹筋中央、それから胸のライン、と肝心の場所をわざと避けて移動させているようだ。身体を起こすと、片方の指で胸の中心に触れないように渦巻きに動かしてきた。

「保田さんは、石川だけじゃダメなんですか?」
「そんなわけないだろ。あたしは、ちゃんと石川のこと大事にしたいって思ってて」
「だったら、どうして今そんなに石川のことを怖がっているんですか?」
「・・・ったり前だろ。今石川がしてることは、あたしを閉じ込めるってことじゃないか」
「石川は、保田さんになら閉じ込められても構わないって思ってましたよ」
「そんなの・・・そんなの、おかしい。絶対に」
「保田さんが、好きなんです」

 耳元で、熱い息をかけるようにそう囁いた。
 同時にさんざんそれまでじらしていた指を乳首中央に乗せて転がす。あ、と保田が何とか声をこらえようとした瞬間、フゥーーーーーっ、と首筋から脇腹にかけて至近距離で生温かい息を吹きかけられた。

「あ、あぁぁっ!」
「いいですよ。保田さん。もっと言ってください」
「ば、ばか。いい加減に・・・ん・・・」

 暗闇の中での不意打ちに保田が身体をのけぞらせると、今度は口を塞ぐような濃厚なキスが来た。
 逃げ出そうとする動きを全部読んでいるのか、先へ先へと絡みつくように舌を入れてきて、肩甲骨に生で椅子の背が食い込むくらいに反り返った体に、覆い被さって石川は執拗にキスを繰り返した。
 体勢的に呼吸が難しいのと、逃げられないっていう焦りから保田が気も失わんかという時、ようやく石川の顔が離れる。惜しむように離れた舌は、キスでこぼれた唾液をぬぐってついでに首のあたりまでそれを薄く引き延ばした。

「こういうのも、いいと思いません? 燃えるでしょう?」
「石川・・・あんた、まさか・・・」
「大丈夫ですよ。ここは、石川がいつか保田さんと一緒に住むために内緒で借りたマンションです。誰も邪魔者は来ません」

 がらんと静まり返ったその場所は、その話が紛れもなく本当であることを教えてる。
 石川はつつ、と舌を首から胸元、それからヘソのところまで下ろして、指先をジーンズのボタンにかけた。抵抗のしようのない保田のジッパーを下ろしたところで手を止めた。

「腰、上げてくれます?」
「・・・石川・・・」
「このジーンズ、大事にしてたやつじゃないですか。石川も、これは切りたくないんです」

 と、さっきナイフをしまったポケットの辺りに手を乗せる。保田は、ここであがいても事態がよくなるわけじゃないことを思って、おとなしくその手がジーンズを腰から引き抜こうとするのを手伝った。
 やがて完全に身の回りのものを奪われて、保田は椅子に腰掛けるままにされる。
 はらはら、と衣擦れの音がして、やがて目の前には、椅子以外自分と同じ姿になった石川が立っていた。

「石川。悪いんだけど、ずっと縛られてて手が痛いんだ。逃げないからこれを取ってくれない?」

 精一杯懐柔されたような態度で保田はそう言ってみた。
 石川はゆったりと保田の裸の腿の上にまたがって座って、肩口を撫でるように身体を寄せた。
 少し考えるような仕草を見せはしたものの。

「もうちょっと、後にします」
「どうして? あたしが信じられないの?」
「そうじゃないんですけど・・・なんていうか、まずいんです」
「まずいって・・・。だって、明日にはまた一緒に仕事に行かないといけないだろ?」
「いいんです。保田さんは、もう」
「・・・?」
「もう、保田さんはお仕事に戻る必要がないんです。そのことは、今日話をしてきました」
「!?」
「大変だったんですよ・・・。みなさんに信じてもらうために、噂を流したり、手紙とか細工したり・・・」

 前から身体を抱きつかせて、手首をぎゅっと握り締める。胸から身体を密着させると、心臓の鼓動をダイレクトに感じる。お互いに、相当早い。

「だから、保田さんは安心していつまでもここにいてください」
「ちょっと、石川。石川!」
「ここは、二人のお城なんです。ずっと、ずっと前から、石川が準備してきた保田さんとのお城・・・」

 ふと、突然石川が身体を離して部屋の隅の方へと移動していった。
 部屋の隅で立ち止まって、楽しそうに笑った。

「保田さん、見てください。これが石川からの『愛』です」

 ぱちん、と部屋の灯りがついた。
 そこは、ごくふつうよりも豪華なつくりのきれいな8畳ほどの広さのベッドルーム。
 テレビと、本棚と、洋服ダンスに化粧台。
 ただし、そのあらゆる棚、あらゆる収納、ありとあらゆるそこにあるアイテムは、保田が以前から「好きだ」と石川に話していた本、洋服、DVD、アクセサリー、CDで一面に埋められている。

「大好きです。保田さん」

 再び、電気が消えて足音が保田に近づいてきた。

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